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2009年7月29日水曜日

おくりびと(‘08)       滝田洋二郎



<差別の前線での紆余曲折 ―-「家族の復元力」という最高到達点>



1  情感系映像の軟着点



2007年の邦画界の不調を見る限り、邦画人気のバブル現象を指摘する論調があって、「邦画の再立ち上げは容易でなさそうだ」(「asahi com」2008年03月04日)と書かれる始末だった。

ところが、翌2008年の全国映画概況(日本映画製作者連盟発表)の報告によれば、洋画収入の激減(前年比23.9%減)に比較して、邦画の興行収入は、過去最高の約1158億6000万円(前年比22.4%増)という飛躍振りだった。

2年ぶりに邦画が洋画を上回った最大の原因は、大谷信義氏(映連会長)も認知していたように、「崖の上のポニョ」の牽引力に因る所が多かったのも事実。要するに、相変わらず、アニメ映画がこの国のキラーコンテンツになっているということだ。

かつて、家庭用ビデオ普及のキラーコンテンツになっていたのがアダルトビデオであった事実を想起するまでもなく、ハリー・ポッター人気がファンタジー映画の氾濫を生んだ構図と全く同じで、結局、商品陳腐化の速度が速まって、いつしか観客も食傷気味になっていた挙句、商品の差別化が困難になって(コモディティ化)、そのうちに、「文化としての雄々しい立ち上げ」がスローガン倒れになっていく流れを必然化するだろう。

そんな状況下で、この国の映画界は、なお「癒し・情感系」の作品に雪崩れ込んでいるように見える。

「癒し・情感系」邦画の氾濫は、ビジネスとして一応の成果を収めたと言えるだろう。金銭と交換し得る価値が自分の心を幾分でも癒し、感動をもらって元気づけてくれる方が精神衛生としては遥かに有益であるからである。

しかし、当初の感動を「ビギナーズラック」にしないために、次に、ワーナー・マイカル・シネマズに代表されるシネコンに出向くときには、「感動の再生産」という期待値を多いに含むから、次第に「より感動的な邦画」との出会いを求めることになる。

邦画愛好者のそのような需要を満たすために、当然、供給サイドに特定的な製作圧力をかけることになるだろう。「より感動的な邦画」への製作圧力は、いよいよ「癒し・情感系」邦画の氾濫に歯止めが利かなくなり、いつしか、かつて、東映のやくざ映画がそうであったように、観客を興奮させるためには「何でもあり」の様相を呈していくに違いない。

第81回米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞したことで、興行成績ランキングをトップに伸(の)し上げた本作の「おくりびと」は、「癒し・情感系」邦画のカテゴリーの中では、明瞭なテーマ性を持ち、相当に練られたシナリオをベースに、普通の邦画では選択しないような題材を扱うというリスク覚悟の勝負に出たという印象が強い。

しかし、本作で構築された映像世界を客観的に俯瞰していくと、やはりこの映画も他のヒット作同様に、テーマ追求の脆弱な「感涙映画」の範疇を殆ど逸脱することのない作品に流れてしまっていた。

情感系の濃度を深めれば、余分なものが入り込んでしまう分、作品の均衡を崩して抑制が効かなくなり、必然的に作品の完成度を劣化させてしまうのである。

「石文は向田邦子さんのエッセイで最初知ったんですが、石を選んで渡し、相手に思いを伝えるもの。これを何年も前から思っていたんですね。それと食について、生きていくための食、つまり命をいただくということ、食物連鎖というか、命のバトンタッチというか、それをテーマにしたいなと思ったんです」(「eiga・com」HP 小山薫堂氏インタビュー)

小山薫堂

以上は、「おくりびと」のシナリオライターの言葉である。

「命のバトンタッチ」(「生命の継承」)、「食物連鎖」というテーマ性は、映画を見れば否が応にも伝わってくるが、しかしあまりに直接的過ぎて、如何にも「作りもの」という印象だけが残像化してしまった。物語を作り過ぎてしまったのである。作り過ぎてしまった分、当然、リアリティが剝落(はくらく)して、これもまたごく普通の情感系邦画の枠を超えられなかったのだ。

そんな中で、興味深い描写があった。

中はとろとろで柔らかい美味を持つフグの白子焼きや、クリスマスの夜の3人のパーティーで、骨付きのフライドチキンをしっかり食べる描写の重要性は、「生と死は繋がっている」と信じる映像世界の死生観に則って、それ故に死者を荘厳な儀式で新しい世界に送り出す納棺師の仕事に携わる者が、「生き物が生き物を食って生きている。死ぬ気になれなきゃ食うしかない。どうせ喰うなら美味い方がいい」という価値観を映し出した所にあり、「困ったことに、美味いんだな、これが」と言わせる場面は、端的にテーマ性を表現していて見事であった。

この描写が物語の自然な流れに寄り添っていて、且つ、自己完結的だったが故にリアリティの剝落もなかったのである。

然るに、映像に三度出てくる「石文(いしぶみ)」のエピソードは、それ自体不要であったと思われる。

なぜなら、「ゴツゴツの大石」を包む楽譜を添えてあった、幼少時代からのチェロを主人公が手に取る描写を嚆矢(こうし)にして、新しい生命を宿した妻との「石文」の遣り取りを経由した後、最後に父の遺体と対面するとき、その手に握られていたのは、幼少時の大悟がたった一度父に渡した、思い出深い「ツルツルの小石」であったという落ちに収斂するのだ。


大悟と妻の美香
心の平穏を表すとされる、「ツルツルの小石」を両手で包み込んだ大悟が、それを新しい生命を宿す妻の美香のお腹に押し当てて、妻が新しい生命の父となる夫の手に、自分の手を重ねるというこのラストシーンの収め方は、充分に「作り物の物語」の極致と言っていい。

「石文」という小道具にも生命を吹き込んでいく過剰さは、この国になお息づいていると信じられるアニミズムをも超えて、殆ど童話的なファンタジーの世界以外の何ものでもなかった。

「石文」という、女子供のツールとも思える小道具によって打たれた布石の最終到達点が、30年以上前に妻子を遺棄して、駆け落ちした末に女に捨てられ(?)、落魄(らくはく)した挙句、由良浜漁協の番屋で孤独死を遂げた、憎き父の手の中に握られていた「ツルツルの小石」であったという、相当に無理な設定の内に流れ込むストーリーラインの杜撰(ずさん)さの種を明かせば、6歳時に家を出た父の顔の記憶を失った主人公が、唯一その男を特定できるツールが、自分が送った「ツルツルの小石」だけであったからである。

「孤独死の男」が、本当は妻子の元への帰還を果たそうにも、その敷居の高さ故に果たし得ない辛さを負いながら、ひたすら「ツルツルの小石」を懐に抱きながら、「我が子を想う父」という役割を生きてきたと想像させるラストシーンの寓話のレベルは、残念ながら、映像表現の決定力をあまりに欠落させた軟着点だったと言えるだろう。

そこで映像が勝負したかったのは、頬を伝わる液状のラインの中で、父を特定させたその奇跡の小石を、両手で包み込んだ息子が、今度はそれを新しい生命を宿す妻のお腹に押し当てることで、「命のバトンタッチ」(「生命の継承」)を自己完結させるという物語性それ自身であったと思われるが、変転極まりなく、思うようにならない人生の厳しさを情感濃度たっぷりに描いてきた映像の完結点が、童話的なファンタジーに流れ込んでしまったのは些かお粗末過ぎないか。安直過ぎないか。

大体、「石文」という小道具自体、不要だったのではないか。

「命のバトンタッチ」(「生命の継承」)というテーマ性を強調するために、敢えてそれを使いたいなら、「穢れ」に関わる問題で裂かれた夫婦の復元の話の中で、小さくまとめるだけでも良かったのではないか。父を特定する方法は幾らでもあっただろう。と言うより、父との奇跡的な再会譚も余分だったのではないか。

実は、この再会譚の導入の狙いが、単に「石文」の寓話の延長線上にのみ存在しないと思うのは、映像を括るに当って、30万円もする総檜を使った、納棺師としての一世一代の芸術表現を、それをするにはおよそ相応しくない漁港の番屋という、「穢れ」にも通じる、貧しく孤独な漁民=被差別民(実際、大悟の父の遺体は、安価な棺桶を持って走り込むように入って来た2人の葬儀屋に粗略に扱われそうになった)のネグラをイメージさせる閉鎖的空間内で、完璧に執り行うシーンを必要とせざるを得なかったと推測できるからである。

ともあれ、妻子を遺棄した父への憎悪をほんの少し解凍させる役割を担った、もう一つの駆け落ちのエピソードが、ラストシーンの前に用意されていたことにも少し触れておこう。そこには、「命のバトンタッチ」(「生命の継承」)が自己完結できなかった話が拾われていたからだ。

上村百合子(右)
上村百合子という、NKエージェントの女事務員の話がそれである。

彼女は「ママ、ママ!」と叫ぶ息子の手を払って、家出した帯広での過去の話を、大悟に語ったのである。

父の死を告げても、頑として出向くことを拒む大悟に向かって、「お願い、行ってあげて。最後の姿を見てあげてよ!」と督促したのである。

「子供を捨てた親って、皆そうなんですか。だとしたら、無責任過ぎるよ!」

上村の話に少なからぬ衝撃を受けた大悟は、相手を難詰(なんきつ)し、一旦表に出て行った後、立ち止まって、踵(きびす)を返したのである。恐らく、父の孤独死の事実を聞き知ったことと関係するだろう。納棺師として、彼もまた孤独死の悲惨を経験しているからである。

「どこから流れて来たのか分らず、一人でこの街に流れて来て、一生懸命、港の仕事を手伝っていたから、この番屋を住居代わりに使ってもらっていた。無口で、何も言わない人だった」

由良浜漁協の関係者がそう話す、永遠の眠りに就いた男の番屋へ、妻を随伴した大悟は、NKエージェントの営業車を飛ばして赴いた。

「命のバトンタッチ」(「生命の継承」)の可能性を永遠に喪失したかも知れない、一人の女が主人公の狭隘な仕事場に居たという偶然性もまた、極めて「作り物的な物語性」を感じさせるものになっていて、様々な意味で、本作の登場人物の「役割分担制」が気になったのも事実である。


ともあれ、映像の情感系の濃度がテーマ性を脆弱にさせてしまった顕著な例を、ラストシーンにおいて、主人公が父の遺体に最高の死化粧をさせるために尖った振舞いを見せる、一連のシークエンスの内に読み取ることができるが、「石文」の寓話によってピークアウトに達する過剰さは上述した通り。

情感系の濃度を深めることで、「石文」の寓話性という余分なものが入り込んでしまって、「作り過ぎる物語」の強引な軟着点を仮構した結果、映像のリアリティを削ってしまったのである。

加えて、古くから山岳信仰の対象として崇拝され、「出羽富士」と呼ばれるほど秀麗な山容を持つ独立の名峰、鳥海山を借景にしたチェロの演奏と、主人公の成長をなぞるかのような、渡鳥が飛翔する美しい自然の四季の移り変わり。

そして、不必要なまでのナレーションの多用。そこに「石文」の寓話が重なって、結局は、「感涙映画」のカテゴリーの定番にに流れ込んでいったのである。

とりわけ、久石譲が作曲した「おくりびと~on record~」のチェロの演奏(実際は、チェリストとして名高い柏木広樹が演奏)は、フォーレの「エレジー」、「シチリアーノ」やパブロ・カザルスの「鳥の歌」(カタルーニャ民謡)という名曲を例にとるまでもなく、渋味のある低音からバイオリンのような高く澄んだ繊細な高音まで、幅広い音域と豊かで美しい音色を出す弦楽器が、最上川の堆積作用によって形成された庄内平野の中枢で、まるで天に向かって語りかけるように響き渡るのである。


この一幅の名画を見るような、その奇麗に切り取った描写が語るメッセージが包含する意味は理解できるが、あまりに美し過ぎるのだ。神々しいまでに眩いのだ。

恰も、「穢らわしき職業」としての差別的な風習がいまなお残る、「納棺師」という職業に就く者が、その匠の手法によって、「遺体」と呼称される「既に動かなくなった生体」が、かつて最も美しかったであろう姿に変容させるスキルの、その本来的な芸術世界を矜持(きょうじ)するかの如く、大自然との溶融の内に凛として自己表現するのである。

映像の情感系の濃度が、確信的に抑制を捨てることで存分に深まったと思い入れるかのような表現が、そこに堂々と広がっていた。



2  「死生観」、或いは、葬祭論



次に、もう一つの重要なテーマである、「生と死は繋がっている」と語られる、本作の「死生観」について簡単に言及する。

平田正吉(右)
それについては、「鶴の湯」の50年にわたる常連客であった平田正吉の言葉がある。

実はこの老人は、急逝した「鶴の湯」の女将である、山下ツヤ子の遺体の焼却をする火葬場の職員であったという都合のいい落ちまでついて、ここでも、本作の登場人物の「役割分担制」が気になった所でもあった。

ともあれ、彼はツヤ子の息子に、完璧な山形弁でこう語ったのである。

「なげーこさ、ここさいっとつくづく思うべの。す(死)は門だなって。す(死)ぬってことは終わりってことでなくて、そこを潜(くぐ)り抜けて、次へ向かう、まさに門です。私は門番として、ここで沢山の人を見てきた。行ってらっしゃい。また、あ(会)おうのって言いながら…」

この哀感たっぷりな平田の言葉は、ツヤ子の息子の慟哭を深々と誘(いざな)った。

日本人は、このような言葉にからっきし弱い所がある。情感言語やその振舞いに対して、あまりに非武装過ぎるのだ。この言葉に共感する者も多いだろうし、ツヤ子の息子の慟哭の描写は格好の泣き所でもあった。

しかし、この平田の言葉は、あくまでも映像世界での死生観であって、必ずしも、日本人に共通な死生観であるとは言えないだろう。

確かに、近年(と言っても、前世紀末)の「日本人の死生観」のデータを見る限り、「死後の世界」を信じる若者が多い。

「『死後の世界(あの世)があると思いますか?』という問いに対して、『あると思う』と『ないと思う』と答えた人がともに29.5%、『あると思いたい』と答えた人が40%もあったそうです。しかも死後の世界の存在を信じるのは、年輩者には少なく、むしろ若い人に多いという傾向が見られたそうです。

また、『死者の霊(魂)(の存在)を信じますか?』という問いに対しては、『信じる』と答えた人は54.0%、『信じない』は13.4%、『どちらとも言えない』は32.0%でした。

『生と死の世界は断絶か、それとも連環していると思いますか?』という問いに対しては、『断絶している』が17.4%なのに対して、『どこかで連環している』は64.6%、『わからない』が18.0%だったそうです。」(立川昭二著『日本人の死生観』1998年 筑摩書房より)

因みに、この映画の英語名は「Departures」。

そこには「逝去」という意味もあるが、本作では「出発」、「旅立ち」という意味の方が相応しいと思われる。

要するに、「死」は「出発」であり、「旅立ち」であるという把握が、本作を貫流しているのである。

しかし、この種のアンケートの信憑性を疑う訳ではないが、若者たちが死者の霊(魂)を信じると答えるとき、「死後の世界(あの世)があると思いたい」という思いの裏返しの反応である心理を無視できないだろう。多くの者が宇宙人の存在や、数多の都市伝説を安直に信じ、そこに夢を託す心理と変わらないのだ。

至高天を見つめるダンテとベアトリーチェ(ウイキ)
一般的に宗教性が稀薄であると言われる我々日本人は、ある意味で、人間としての肉体は滅びても、信仰の力によって霊体は不滅と考えるが故に死を受け入れられる国の人々の文化、例えば、「復活」の思想を有し、「死」を通過点と考える絶対的な一神教の文化であるキリスト教の場合に比べると、明瞭な死生観が存在しないので、どちらかと言えば、「死」を「終末点」と考える傾向が強いという印象がある。

それ故、「死=無というのが日本人の死生観」であるという指摘もあるように、日本人は世俗・現世利益をポジティブに捉える反面、神道思想の影響によって「死」を「穢れ」たものと考えやすいのである。

ここでは「穢れ」についての言及は避けるが、私はその(「穢れ」)本質は、近畿地方に多く残ると言われる「両墓制」(「埋め墓」と「詣り墓」を分けること)を例に挙げるまでもなく、「死に対する恐怖感」であると把握している。

と言うより、一神教を苦手とする日本人は、恐らく、一人一人が人生論の範疇で、真剣に「死」について考えることから回避する感情が強く、多くの人は、その「死生観」を曖昧にさせた状態との心理的共存の時間に対して、特段に違和感を抱いていないように見えるのである。

詰まる所、「幸福な老い」を強く願うが故に、「健康」、「現世長寿」、「サクセスフル・エイジング」(若々しく老いること)「生活合理主義」を重視する我が国の人々の、その「死生観」は相当にいい加減なのだ。

ミヒャエル・ヴォルゲムートの「死の舞踏」(ウイキ)
近年、「死生観」に向き合う、サナトロジー(死生学)という概念が独り歩きしている印象が強いが、この学問にしたって、ホスピス運動を経由した緩和医療の進展と相俟(あいま)った欧米ルートの直輸入であることを忘れてはならないだろう。

だからこそ、絶対に通過しないと思われていたA案(臓器移植法改正案の中で、「脳死」を「人の死」とするという、この国の人々にとっては相当にドラスチックな法案)が、意外なほどあっさり国会の承認を得たのではないかとも思えるのだ。

然るに、このA案成立の背景にも、国際移植学会によるイスタンブール宣言(2008年5月)によって、「渡航移植」への批判的な問題提起が為された事実が横臥(おうが)しているのである。

無論、「死んだら全て終わり」という価値観を持ち、「全身リアリスト」を標榜する私にとっては大歓迎の話だが、それにしてもA案のハードルの低さを考えるとき、日本人の「死生観」を根柢から破壊するなどと称して、A案への異論を唱えていた人たちの「死生観」が、実はこの国にあって、少数派でしかなかった事実の意味は決して小さくないだろう。

この国には、私も含めて、今や葬儀すら不要(直葬)であると考える人たちが現出しているのである。従って、「死後の世界(あの世)があると思いたい」という思いを持てれば、多少なりとも、「死に対する恐怖感」が稀釈化されるが故に、ホスピス・ケアの重要なアプローチになり得ているということなのだろう。

絶対神を信仰対象にすることが少ないこの国において、多くの人は心のどこかで、「死」を「終末点」と考える傾向を持っているように思われるのである。

その意味から言えば、同じ仏教国家(?)であっても、輪廻思想による根強い「来世信仰」を持つタイのように、「遺体回収ボランティア」が積極的に推進されている事例と比較すれば、「穢れ」によって「死」を忌避する傾向を持つ我が国の「死生観」の底の浅さは自明であるだろう。

更に言えば、信仰の力によって霊体は不滅と考える傾向を持つ、一神教の国々の人々の「神」へのスタンスは、とても我が国と比較するに及ばないものがあるということだ。

それは、欧米の映画人や哲学者と比較すれば了然とするだろうから、その数例。

青年たちが活発な神学論争を交わす、「野いちご」という傑作を残したイングマール・ベルイマン然り。(「野いちご」の評論参照)

イングマール・ベルイマン

牧師の子であった彼は、年来の父との確執の中で、その自我形成の過程において、「神」の存在の問題と否が応にも対峙せざるを得ない内的状況を必然化していって、映像作家としての評価が定まったとき、本来的なテーマである「神の不在」という深刻且つ、根源的な問題の映像化に踏み入っていったのである。

処女の泉」、「第七の封印」、「鏡の中にある如く」、「冬の光」、「沈黙」等の作品において、ベルイマンが「神の不在」の問題と直接対決した経緯はあまりに有名な話である。

更に、彼の息子であるダニエル・ベルイマンは、「日曜日のピュ」の中で、頑固で狷介(けんかい)な父が、死の床にあって自分の信仰と生き方を疑う姿を目の当たりにしたとき、その次男(ピュ=イングマール・ベルイマン)は、対立し続けていた父を突き放すシーンがあった。

その強烈な自我の拠り所が、「神」との信仰上の葛藤の激越さの結果であることが検証されるのである。(「日曜日のピュ」の評論参照)

また、かつて私が好んだ哲学者のキルケゴールは、父が神を裏切る行為を知ったとき、底知れぬほど深い衝撃を受け、その経験を「大地震」とまで呼んで、その身を持ち崩す生活にのめり込んでいったエピソードも相当に重いと言えるだろう。

フリードリヒ・ニーチェ(ウイキ)
また、個人的な人間関係の問題も媒介している事実をも含んで、キリスト教的な道徳的諸価値と対決し(「道徳の系譜」など)、それを根柢的に批判し、葬り去ったかのような壮絶な孤独の只中で、精神を病むに至ったとも思えるニーチェの人生は、それ自身が「キリスト教的禁欲思想」との内面的戦争であったとも言えるだろう。

更に、そのニーチェに大きな影響を与えたと言われる、「悪霊」の執筆者のドストエフスキーは、まさに件の作品の中で、「人神論」を唱えるキリーロフという魅力的な人物を造形し、「神の非存在=自分が神となる」主張の結実によって自殺を選択するに至ったのである。


そして、本篇の主人公であるニコライ・スタヴローギンに至っては、破壊的なまでに徹底したニヒリストとして人物造型されていた。


迷妄の青春の彷徨に随伴するのにあまりに相応し過ぎる、毒気に満ちた文学世界を構築した壮年期以降のドストエフスキーは、汎スラブ主義的なナショナリストであり、ロシア正教に深く帰依していたとも言われるが、彼自身の文学作品や言動を見る限り、生涯、宗教への信仰の問題に懊悩していたようにも思われるのである。

セーレン・キルケゴール(ウイキ)
イングマール・ベルイマン、キルケゴール、ニーチェ、ドストエフスキー等々、というヨーロッパの数多の知識人たちが、既に幼児自我を包括する環境下にあった信仰の問題を、思春期以降の自我確立運動のドラスチックな過程、即ち、心の問題の最前線の内的状況下において、真に自分の「生」と「死」に関わる由々しきテーマとして捉え直した結果、自分の内側を支配していた強固な一神教の信仰の問題と対峙し、格闘していくプロセスの内に、それに情感系を深々と預けたり、或いは、それを克服すると信じる思想体系を構築したりすることで、強固な自我の作り変えに成就したり、命を落としたりしてきたのである。

褒め殺し的に言えば、人間の最も奥深い迷妄の森に拉致された者たちの叫びは、どこまでも彼らの固有なる精神世界の徒(ただ)ならぬ展開であったということか。

椎名麟三に代表される、ごく一部の知識人を除けば、強固な一神教の信仰の問題を実存的テーマとして対峙し、格闘していくプロセスは、果たして、我が国に馴染む何かであっただろうか。答えるまでもないことである。


ここで、我が国の「死生観」の話に戻そう。

エンゼルケアの研修・ブログより
大体、本作で描かれた「死生観」がこの国に堅固に存在するなら、欧米のエンバーミング(死体防腐処理)とは異なって、エンゼルケア(遺体の初期処理=死化粧)を病院の看護師に任せて、その病院ルートで特定の葬儀社による、コンクリートビル内の合理的な葬儀を簡単に許容するだろうか。

実際、家族への気兼ねや、「穢れ」の観念等の理由によって、自宅死を求める者が1割にも満たない現実で、大半の者が病院死する状況に対して違和感を持たない人々の心理の内に、「伝統的」且つ「本来的」であると信じ、「新たな世界への旅立ち」を意味する「納棺師による芸術的死化粧」を要請し得る、「健全」且つ、堅固なる「死生観」が生まれる根拠があるとでも言うのか。

本作で描かれた古式納棺のセレモニーが、殆ど稀有な仕事であると再認識すべきである。火葬場の職員である平田正吉の言葉の重量感は、そのような言葉に遭遇する機会の少ない者にとって、新鮮なインパクトを与えるに過ぎない何かであるということだ。

―― テーマ言及を進めよう。

「棺に収める直前、納棺師は弔いの席に現れ、旅立つ人の体を清め、装いを整え、最後の化粧を施す。遺影をしっかり目に焼き付け、生きていた頃の面ざしをよみがえらせる。亡き人の尊厳を守り、遺族の目前でありながらも、故人の肌を全く目に触れさせずに衣装を替える。無駄のない洗練された手際で手順を進める納棺師の仕事を、『おくりびと』は和の儀式・礼節を受け継ぐ者へのリスペクトを込めてフィルムに収めた」(「NIKKEI NET」より)

以上の一文は、納棺師という稀有な職業に携わる人たちの仕事を映像化した作品への、リスペクトを込めたオマージュ。実に奇麗過ぎる言葉であるが故に、却って、その職業が包含するリアリズムの世界を稀釈化し、浄化してしまっているのである。

即ち、実際の納棺師の仕事は、「特殊清掃業」(事件・事故現場清掃業)に携わる人たちのように、ハンパではない悪臭を放つ現実との格闘でもあるということだ。いつもながら、この国の映像は「穢れ」の世界を隠し過ぎるのだ。

以下、「特殊清掃業」の人たちの壮絶な世界の一端を紹介する。題して、「特殊清掃 戦う男たち」。ブログからの引用である。

「ほとんどの腐乱死体発生現場は、ハンパではない悪臭を放っている。それは、近所に迷惑をかけるので、安易に窓やドアを開けられない。だから、必然的に、密室での作業になる。それが、どれだけ暑くて、どれだけ不衛生かは、想像に難くないと思うが、とにかく過酷な環境なのである(略)

『マシな方か・・・』

故人は、浴槽に入っていたらしかったが、湯(水)は溜まっておらず。あちこちに腐敗液・毛髪・皮膚が付着していたが、とにかく、浴槽に水が溜まっていなかっただけでも、私にとっては幸いなことだった。

『警察も、大変だよな…』

特殊清掃業・「事件現場清掃会社九州支社」HPより
浴槽から扉に向かって、幾本もの腐敗液の筋。警察が、浴槽から遺体を引きずり出した痕が、グロテスクな模様をつくっていた」

さて本作でも、主人公の初仕事がそうであったように、死後2週間も過ぎた老人の孤独死に遭遇し、嘔吐する場面が確かにあった。

しかしその場面では、決して「現場」を映すことがなかった。

また、それ以外の描写に至っては、チェリストから繋がる「芸術家」としての、「生前の最大美」を再現する匠の世界の表現者としての、誇りある仕事ぶりのみを特定的に切り取っていったという印象が強いのだ。

特定的に切り取られた映像が、前掲の一文のように、「亡き人の尊厳を守り、遺族の目前でありながらも、故人の肌を全く目に触れさせずに衣装を替える。

無駄のない洗練された手際で手順を進める納棺師の仕事を、『おくりびと』は和の儀式・礼節を受け継ぐ者へのリスペクトを込めてフィルムに収めた」という小宇宙の中で、自己完結していくのは当然の帰結であったに違いない。

もっとも私は、そのような小宇宙の芸術的構築を批判しているのではない。ただ、初仕事以降、「穢れ」を浄化するかの如き、「美しき世界」の自己完結的な芸術的構築の描写の内に、本篇のストーリーラインが「昇華」していった流れに違和感を持ったからである。

本作における理念的な「死生観」を映像化していくことが、「穢れ」の現実ときっちり対峙し、それを処理していく描写の導入と充分に共存できると考えているからである。

その辺りのテーマ追求の減速化の内に、小器用に映像を処理していくあざとさを感受してしまったのだ。

同時にそれは、テーマ性への肉薄を稀釈的に浄化させてしまった分、「家族愛の物語」に小さく収斂させていく脆弱性を露呈してしまったのではなかったか。

「穢れ」の問題をも射程に入れた映像が、こんな奇麗事の軟着点に流れ込んでいった辺りに、どうやらこの国の映画界の痼疾(こしつ)が、なおネットリと張り付いているようだ。


周知の如く、本作で描かれた納棺師が、ビジネスとして独立したのは青函連絡船洞爺丸事故(1954年)以来であり、そのとき立ち上げた「札幌納棺協会」(注)が、本作での上村百合子の説明にあったように、「葬儀業者の単なる一スタッフの仕事に過ぎなかった納棺作業を、あたかも伝統行事かのように“儀式化”することで業績を拡大」(ウィキペディア・「納棺師」より)していったのである。


従って、独立した職業としての「納棺師」の足跡は、高々50余年程度の歴史性しか持ち得ていないのである。それを、この国の葬祭儀式に関わる、古式床しい「伝統文化」として認知すべきか否か。考えるまでもないことだ。


少なくとも、納棺師の「芸術表現による最大美の構築」という伝統は極めて浅く、下記の(注)に引用したように、それ以前は、葬儀社の仕事の一環として存在していただけであり、赤飯を炊いて祝われた長寿による老衰死という稀有なケースを除けば、大抵、壮年までの自宅死が大勢を占めていた戦前に至っては、各村々での相互扶助によって、地主でない者は自宅での湯灌(ゆかん・納棺前に遺体を湯で洗い清めること)が禁止されていたので、主に寺の一画などを利用して、湯灌の簡素な儀式が継承されてきたに過ぎないと言える。(画像は、実際の「納棺師」の水引リング・コサージュ・数珠・イヤリング・ネックレスの5点セット)

かつて葬祭儀式が、共同体の最も枢要な営為という性格を持っていたのは、共同体社会において、近代都市での人間関係と異なり、「村落内の他人の不幸は自分の不幸」に繋がるので、葬儀という共同体の生命線とも言えるセレモニーの中で、村落内の人々が漏れなく寄り集まって弔問し、葬儀を取り仕切っていたのである。

それは、「アンチエイジング」という観念とは全く無縁な時代状況下に、平均寿命が極端に短い人生を生きることが常識化されていた社会にあって、ほぼ日常的な儀式だったのだ。

従って、本作の納棺師の見事な芸術表現世界を、この国の誇るべき、古式床しい「伝統文化」と把握するには無理があるということである。


(注)「札幌市の株式会社『札幌納棺協会』は、1954年に1400人以上が犠牲になった青函連絡船洞爺丸などの海難事故をきっかけに始めたという。洞爺丸事故では、被害者が多すぎて葬儀社だけでは手が足りず、当時北海道函館市に住んでいた遠山厚さん(故人)が遺族への引き渡しを手伝った。遠山さんは、遺体を丁寧にふき清めることで遺族のつらさが和らぐ場面を見て、69年に札幌市で納棺協会を設立したという。現在は納棺の技術や様式も複雑化。遺体に化粧をする際は仕上げを遺族に手伝ってもらうなど、儀式としての側面も強くなっており、同社では納棺師になるためには社内試験に合格しなければならない」(「NET Nihonkai」2009年02月24日より)



3  差別の前線での紆余曲折 ―― ファーストシーンまでのストーリーライン



以上、縷々(るる)、本作にケチを付ける言及に終始した印象があるが、私は必ずしも、本作で構築された表現世界の秀逸さを否定するものではない。

本稿の最後のテーマに、ストーリーラインの流れを紹介する本章と、ファーストシーンの重要性に言及する次章を設けて、そこで私が印象に残った描写に言及することで、自分の本意を記述したいと思う。

―― 私の感懐が作り手の思いにどれほど重なっていたか心許ないが、私が本作で最も重要だと思える描写があった。

雪靄(ゆきもや)の中を、自然の営為に寄り添った走行をする一台の営業車。

二人の納棺師が車内にあって、不必要な会話が削られたそのシーンこそ、本作のファーストシーンであった。

その車を運転する若き納棺師のナレーションが、ダークグレーに染まる映像の静謐さの中に刻まれた。

「子供の頃に感じた冬は、こんなに寒くなかった。東京から山形の田舎に戻って、もうすぐ2か月。思えば、何とも覚束ない毎日を生きてきた」

その後、映像は一転して、眩い輝きを放つ雪景の中に堂々と建つ古民家を映し出し、その玄関には葬儀花輪と共に、「忌中」と書かれた黒枠付の札が貼られていた。その日は、自殺した一人の青年の納棺の儀式を執り行う仕事を受けたのである。

「納棺のお手伝いに参りました」と挨拶したのは、「NKエージェント」の佐々木社長。

遺体の損傷の痛みがなく、佐々木は「練炭自殺だ…」と特定する。遺体に被せた白い布を取って、顔を覗き込んだ大悟は「美人だ…」と一言。

佐々木社長(右)

「やってみるかい?」という佐々木に、遺体の顔を確認ながら、大悟は「ハイ」と一言。

小さいが、納棺師としての力強い思いのこもった反応だった。

仕事を開始するや、「美女」の遺体に大悟は違和感を覚えた。

「ついているんですけど…」と大悟。佐々木に呟いた。

その表情には、納棺師としての仕事に不慣れな者の困惑ぶりが露わになっていた。遺体は「男性」だったのである。

その名は、留男。この辺りで、観る者は、青年の自殺の原因が朧(おぼろ)げに想像できるだろう。

佐々木は全く慌てることなく、遺族に、「男性用の化粧か、女性用の化粧」かの選択を求めた。両親の軋轢(あつれき)を露わにした困惑気味の遺族から、「女性用の化粧」という返事が返ってきた。その確認を取った後、大悟による芸術的化粧の世界が開かれていく。

以上の、些かユーモア仕立てのエピソードが内包する世界が、深々と表現する情感系の文脈は、本作の白眉とも言える奥行きを映し出していった。それについては次章で後述する。なぜなら、映像はここから過去の時間に戻っていくからである。

―― 以下、このファーストシーンまでのアウトラインを、不必要なまでのナレーションの挿入を交えて、詳細にフォローしていこう。

「ようやく掴んだオーケストラ奏者という職業。それは一瞬にして過去の思い出となった。このチェロには何の罪もない。僕のような人間に買われたばかりに仕事を失ってしまったのだ。あらゆる意味で、このチェロは、僕には重た過ぎた」

このナレーションでも分るように、主人公の前職はオーケストラのチェリストだったが、口ごもるオーナーから解散を告知され、あえなく失職。

1800万円のチェロの借金の事実をも含めて、妻の美香に失業の告白。

「世界中の街が僕たちの新居だ。演奏旅行をしながら一緒に生きていこう。それがプロポーズの言葉だった。しかし現実は厳しかった。いや、もっと早く自分の才能の限界に気づけば良かったんだ」(ナレーション)

夏の鳥海山(イメージ画像・ウィキ)
チェロを止め、死んだ母が残した田舎(山形)に帰ることを決意。妻も同意し、随伴することを告げる。

「人生最大の分岐点を迎えたつもりだったが、チェロを手放した途端、不思議と楽になった。今まで縛られていたものから、スーと解放された気がした。自分が夢だと信じていたものは、多分、夢ではなかったのだ」(ナレーション)

「父が愛人を作って家を出た後、2年前に母が始めた喫茶店を営み、女手一つで僕を育て上げた」((ナレーション・父の家出は6歳の時)

新聞で「旅のお手伝い」と書かれた求人広告を見て、大悟は早速、面接に行くが、その会社(NKエージェント)の社長に、広告は「安らかな旅立ちのお手伝い」の誤植だと告げられ、呆然自失。「向いてなければ辞めればいい」と言われながらも、社長に日当まで渡される始末。弱点を突かれ、優柔不断な態度を見せる大悟は、結局、入社することになる。

しかし妻には、自分の就職先を「冠婚葬祭関係」としか答えられず、この矛盾がやがて夫婦を破綻させることになる。

納棺は昔は家族が自前で処理していたが、それが葬儀屋に回された後に独立するに至った、典型的な超隙間産業であるということ(女事務員、上村百合子の話)。更に、新入社員の大悟に30万の総檜など、差別化された納棺を見せた後、上村は「人生最後の買い物は、他人が決めるのよ」と一言。

大悟は、「納棺の解説DVD」の遺体役を演じるが、その表情は苦痛に歪んでいた。なお、コメディ仕立てのトーンが続く。

大悟の最初の仕事現場は、孤独死後、2週間経過した老女の遺体の処理だった。現場の異臭と凄惨な状況に、嘔吐を催しながら、仕事の厳しさを知る。帰社後、呆然とする大悟に、社長は苛酷な初現場を労(ねぎら)いながら日当を渡し、「今日は、もう帰っていいよ。最初にしては刺激が強過ぎた」と言って、早めの帰宅を促した。


その帰路、ただでさえ死臭が気になっていた所に、バス内で女子高生たちが、「何か臭う」と話しているのを耳にしてしまい、途中下車し、旧知の銭湯で、取り憑かれたように体を洗う大悟。

映画は、大悟の最初の仕事の描写から、「穢れ」の問題をも射程に入れて、シリアスドラマの様相を顕在化させていく。

そこにはもう、オーケストラでのチェリストの職を失ったときに見せた、「眼を剥く」ようなコメディテイストの画像は脱色されていた。

更に帰宅後、妻が隣人からもらったという、屠殺(とさつ)処分したばかりの鶏を見て、再び嘔吐を催す。大悟はその不安な精神状況から、妻の体を激しく求める。

因みに、伊丹十三監督による「お葬式」(1984年)という映画でも、緊張する通夜を前に、林の中で愛人とセックスする描写が挿入されていたが、「穢れ」の浄化を求めることで、「性」と「生」を確認しようというこの心理描写には説得力があるということか。

或いは、本作の作り手を含めて、エロス(性の本能・衝動)とタナトス(死の本能・衝動)との密接な関係を重視した、フロイト的な仮説を信じる人が多いが、私には、現在のリスキーな心的状態からの全人格的な解放感を渇望する心情の身体化のようにも考えられるので、この類の精神分析的な解釈には釈然としない思いがある。


演奏会の場面の撮影が行われた酒田市民会館「希望ホール」(ウィキ)
「一体、自分は何を試されてるんだろう。母を看取ってあげられなかった罰なのか。この先、どうなっていくんだろう。そう思ったら、なぜかチェロが弾きたくなった。記憶を巻き戻しながら、ただチェロが弾きたくなった」(ナレーション)

子供時代の古いチェロの傍にあった、楽譜に包まれていたゴツゴツとした大石。それを確認した大悟は、チェロを弾きながら、父と石を交換した幼少時代の回想に耽る。

故郷の川で、鮭の遡上を見る大悟。

「死」を前提にしながらも(?)、必死に遡上する鮭の宿命的な生命の叫びを、簡単に逃げ出せずに、運命に憑かれたかの如く藻掻(もが)く、現在の自分が背負っている問題の重量感に思いを重ねているかのようだった。

そこに彼を迎えに来た社長は、「君の天職だ。この仕事は」と言って説得し、仕事に行くことになった。

「お前ら、死んだ人間で食ってんだろ」

喪主に、遅れて来た二人は面罵(めんば)される。

しかし、佐々木社長の仕事ぶりは見事だった。美しく化粧された遺体は、まるで生きているかのような生命感を伝えていた。見事な仕事捌(さば)きを目の当たりにした大悟は、深い感銘を受けていた。

「冷たくなった人間を蘇られさせ、永遠の美を授ける。それは冷静であり、正確であり、そして何より、やさしい愛情に満ちている。別れの場に立ち会い、故人を送る。静謐で、全ての行いがとても美しいものに思えた」(ナレーション)

「あいつは、今までで一番奇麗でした」

二人を面罵(めんば)した喪主である遺体の亭主は、帰りがけに二人を追い駆けて、先ほどの非礼の謝罪と共に、深い感謝の念を伝えたのである。

大悟は妻の美香を連れて、旧友の山下の母である、ツヤ子が一人で経営する「鶴の湯」に行く。「鶴の湯」を畳んで、マンションに替えろと進言する息子と、「お客さんが困るから」と頑固に拒む母の対立が、そこにあった。。

「男湯で、一人、肩を震わせて泣くのよ」

ツヤ子(左)
ツヤ子は、母子家庭の少年時代の大悟の寂しさを、美香に話した。

「会いたいとい思わない?」と美香。父のことを尋ねたのである。
「会いたくない。もし会ったら・・・ぶん殴る」と大悟。

大悟の単独の初仕事は、自殺の処理。映像はその場面を映さない。この辺から、「穢れ」への直接的描写が意図的に回避されていく。

「もっと、ましな仕事さつけや」

大悟は路傍で偶然会った、家族を連れた山下から、自分の仕事をダイレクトに非難された。

「こんな仕事しているなんて、恥ずかしいと思わないの?」と美香。

夫が内緒で保管していた広告用のDⅤDを見て、夫の仕事を知ったのである。

「どうして恥ずかしいの?死んだ人を毎日触るから?」と大悟。
「普通の仕事をして欲しいだけ」
「普通って何だよ。誰でも必ず死ぬだろう?俺だって死ぬし、君だって死ぬ。死そのもが普通なんだよ」
「理屈はいいから、今すぐ辞めて…今度だけはお願い」
「嫌だ…って言ったら?」
「一生の仕事にできるの?…実家に帰る。仕事辞めたら迎えに来て」
「美香!」
「触らないで、汚らわしい!」

「一生あの人みたいな仕事をして、償うか?」

この言葉は、大悟が仕事の現場で直接言われたもの。言葉の主は、バイク事故で娘を失った父親。その父親の怒りの対象は、娘を同乗させていた男子学生だが、その指先は納棺師という職業を持つ大悟に向けられていた。

衝撃を隠せない彼は、意を決して、佐々木社長に退職を申し出ることにした。事情を察知している社長は、9年前に死んだ自分の女房の話をした。社長の愛妻への納棺の儀式こそ、彼の最初の仕事であったと言うのだ。

「夫婦ってのはいずれ死に別れるが、先立たれると辛い。奇麗にして送り出した。俺の第1号だ」

「これ(フグの白子焼き)だって、ご遺体だよ。生き物が生き物を食って生きている。死ぬ気になれなきゃ食うしかない。どうせ食うなら美味い方がいい」

「困ったことに、美味いんだな、これが」


以上の言葉は、佐々木社長が大悟に語ったものだが、本作の本質に関わる内実を持っていた。

愛妻への納棺の儀式に象徴される、遺体を一概に「穢れ」の対象と見ることなく、ある種の崇拝する感情なしに成立しない、納棺師という職業の奥行きの深さ。更に、「生き物が生き物を食って生きている」という食物連鎖の宿命から、誰も解放されることがない現実の認知。そしてどうせ食べるなら、「美味いんだな」という感覚を捨ててはならない等、というメッセージである。

この重要な描写の導入の後、大悟は反転していく契機を掴んでいくことになる。

―― ここで映像は、ファーストシーンに戻るが、如何に、このファーストシーンまでのストーリーラインが重要であるかということが理解されるだろう。



4  納棺師の最高到達点 ―― 家族の復元力



「東京から山形の田舎に戻って、もうすぐ2か月。思えば、何とも覚束ない毎日を生きてきた。僕は本当にこの仕事でやっていけるのだろうか」(ナレーション)

ファーストシーン ―― それは、女性だと思っていた遺体が男性である事実を知って、改めて、「女性の化粧」を施す場面であった。練炭自殺をした遺体の青年の名は、留男。

以下、この留男に「女性の化粧」を施していく大悟の、眼を見張るべき見事な仕事ぶりが丹念に描かれていく。

納棺師となって2か月にも満たないのに、チェリストとしての手先の器用さが手伝ってか、素人目には佐々木社長の手腕にも劣らないように見える大悟の芸術的化粧によって、見る見るうちに、留男の表情は遺体のそれとは思えないほどの、「美しき女性の面貌」に変容するのである。

「おいが最初から女子(おなご)に産んであげてたら、こんなことになれねかったのに…」

ここで否が応にも、ファーストシーンにおける留男の母の言葉が想起されてくる。

留男の母は、佐々木社長から、「男性の化粧」か、それとも「女性の化粧」のどちらを施すかについて問われたとき、思わず、そう口に出したのだ。明らかに、留男の自殺の原因に関与していたであろう頑固で、無理解な夫への非難の感情が渦巻いていたに違いない。

恐らく、留男は「性同一性障害」か、トランスジェンダーであったと思われる。

前者は、「肉体上の性別と自分が属する性別は異なると確信している状態」(「Yahoo辞書」より)であり、後者は「性同一性障害の一。身体の性と心の性が一致しないが、外科的手術は望まない人」(同上)であるが、同義のように把握される場合も多い。しかし、「同性愛や異性装とは、それ自体は全く独立した別個の現象」(「ウィキペディア・性同一性障害」より)であるという認知は、決して等閑(なおざり)にできない問題であるだろう。

また、「両性具有」という意味のインターセックス(性分化疾病)という疾病も、近年、アスリートの資格等の問題で話題を呼んでいるが、潜在精巣のため正常な精子を生産することができないアンドロゲン不応症などで性分化しているケースもあり、多くの難しい問題を抱えているのが実情である。


ともあれ、「男に留まる」という皮肉な名を持つ彼が、最も「性」を意識する思春期辺りで、「生物学的に身体化されたもの」を受容し切れないで、「性自認した意識」が裂かれる大いなる違和感の中で煩悶していた時間を彷徨するとき、「あってはならない事態」としてしか把握できない周囲の差別の前線の只中に放擲(ほうてき)され、恐らく、言語に絶する孤立感が極まって、青年は練炭自殺を遂行したと思われる。

産経新聞の記事によると、性同一性障害に悩む者は、75パーセントが自殺を考え、30パーセントが自殺未遂であると言う。留男の場合は、この30パーセントの自殺未遂者の枠をも超えて、遂に自殺既遂者の一人になってしまったのである。

その自殺既遂者の遺体を前にして、大悟は今や、自立した納棺師の如く、心に充分の余裕を持って、「女性の化粧」を施していくのだ。

自立した納棺師が、チェリストの延長としての芸術家であるという誇るべき時間を、妻との縁を切ってまで拘った男が、堂々と、且つ、息子を喪って呆然自失の相手の苦衷(くちゅう)に優しく寄り添いながら、荘厳なまでの静謐さの中で開いていく。

その仕事の見事な表現力は、いつしか悶々としていた空気の澱みを払拭し、浄化し、その古式納棺の儀式に溶融するかのように、居並ぶ遺族の心を柔和なものに変えていったのである。

仕事が万事終了し、社長と共に「忌中」の家屋を離れようとしたとき、一つの小さな奇跡が起こった。

妻を亡くした男の行動がそうであったように、それは恐らく、古式納棺の仕事に携わる者だけが受け取る、もう一つの感情交換であったかも知れない。そう思わせる奇跡にも似た出来事が、このときもまた出来したのだ。

留男の父親が二人の納棺師の傍に近寄って来て、自分の正直な思いを語ったのである。

「留男がああなってから、いつも喧嘩ばっかりで、あいつの顔、まともに見たことありませんでした。だけど、微笑んでいる顔見て、思い出したんです。ハァー、おいの子だのうって…おなごの格好してたって、おいの子はおいの子だの…本当に有難うございました」

ここで父親は、堪えていたものが噴き上がってきて、泣き崩れた。

「おなごの格好してたって、おいの子はおいの子だの」

我が子の顔をまともに見たことがなかった父親が、古式納棺の匠の世界の中で蘇生した息子の美しく、微笑んでいる顔を見たとき、「性差」によって縛られることがない心境に初めて到達し、「おいの子はおいの子」という認知に至ったのである。

その画像は、まさに納棺師の仕事が、家族の復元の機能を持っていることを象徴するシーンでもあった。納棺師の最高到達点が、そこにあった。

この経験が、差別の前線で紆余曲折していた男を大きく変えていく。

以降、大悟の仕事の充実ぶりと、鳥海山を背景にしたチェロの響きの描写が重なっていく。美し過ぎる描写の導入が含む意味については、先述した通りである。

そして季節が変わって、妻の帰還があり、妊娠の報告を受けるに至る。

「だからもう、中途半端な仕事は止めて」

それが帰還を果たした妻の物言いだったが、まもなく、夫の古式納棺の仕事ぶりを見ることで、夫の全人格を丸ごと受容するになる。

その契機は、「鶴乃湯」の山下ツヤ子の葬儀での納棺の儀式であった。

同時に、大悟の仕事を嘲罵(ちょうば)した山下の息子もまた、大悟の妻の思いにラインを合わせるに至った。

滝田洋二郎監督
物語の展開は、夫婦愛と親子の絆が奇麗に重なった、情感系の極点とも言えるラストシーンに流れていくのみである。それについては言及した通りである。

それ故、妻の帰還後のストーリー展開には、相当程度、違和感を覚えたのは事実。

正直言って、山下ツヤ子の葬儀での納棺の儀式という設定は、あまりに出来過ぎた話であるということだ。

自分の職業に対する、妻と友人の差別感情を同時に解決させる出来事として、山下ツヤ子の急逝と、その葬儀における納棺の儀式、更にその納棺を仕切るのが、「穢らわしい」とまで言われた主人公だったという設定は、「作りものの物語」の印象を強化するだけだろう。

加えて、遺体の焼却を司る任務に当るのが、「鶴乃湯」の常連の老人だったという落ちまで付いてしまっては、「情感系映画」の本道をなぞるかも知れないが、偶然性に依拠する度合において、殆どシリアス映画のルール違反と言っていい。

その安直さは、映像の完成度を貶(おとし)めるほどに、その「作りものの物語」の濃度を深めてしまった欠陥を晒(さら)すだけだった。

ともあれ、本章で言及した「留男青年の練炭自殺」のエピソードは、本作の生命線となっていて、差別の前線で紆余曲折していた主人公の、その内面的変容の過程の繊細さを見事に表現していたと思われる。

それは、納棺師の仕事が家族の復元の機能を持っていることをも示すに足る職業であることの、一つの確かなる存在証明であった。

同時にそれは、納棺師の最高到達点がどこにあるかということへの映像的な回答でもあったのだ。

(2009年7月)

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