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2009年11月30日月曜日

タクシードライバー('76)       マーティン・スコセッシ


<「英雄譚」という逆転ドラマの虚構の終焉>



1  男の内側に潜む妄想心理という魔物



殆ど病的な不眠症の故に、夜勤のタクシードライバーを仕事にする一人の男を介して、マーティン・スコセッシが特定的に切り取った、「悪の溜まり場」の「ビッグアップル=アメリカの現状況性」というラベリングを、フィルムノワールの黒々とした旋律で映像化した奇跡的傑作。

男の名は、トラヴィス・ビックル

映像は、トラヴィスが記す日記を通して、どこまでも彼の視界から捕捉された、「悪の溜まり場」の「ビッグアップル=アメリカの現状況性」の爛れた夜の世界を象徴する、売春婦、ホモ、オカマ、麻薬売人、ヤクザなどの腐敗の現実を特定的に切り取って、それらを「悪の巣窟」と断じる男の肥大した妄想が日々拡大されていく危うさを、スコセッシ特有の湿潤性を拭った散文的な筆致によって再現されていくのだ。

ファーストシーンの鮮烈さが、いきなり、観る者の受容感度の非武装さを突き抜いてきた。

辺り一面に白煙が立ち込める不気味な画像の中に姿を現す、一台のイエローキャブ。

その白煙の向こうに、爛れ切った夜の街を闊歩する者たちのラインが繋がって、それを視界に収めるギラギラした男の眼は、紛れもなく、凶暴なハンターのものだった。

この挑発的なシーンこそ、「悪の巣窟」を払拭する意志を持つ男の、その立ち上げのマニフェストだったのか。

鮮烈な映像の中で、男の暗い情念だけが吐き出されていく。


「雨は人間の屑どもを、舗道から洗い流してくれる。僕は常勤になった。勤務は夜6時から朝6時。たまに8時まで。週に6日。7日の時もある。忙しいとぶっ通しで走る。稼ぎは週350ドル。メーターを切ればもっと多くなる・・・・・・

夜、歩き回る屑は、売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人。すべて悪だ。奴等を根こそぎ洗い流す雨は、いつ降るんだ?客に言われれば、俺はどんな所へでも行く。気にならない。どこだって同じだ。黒人を乗せない奴もいる。俺は平気だ・・・・・・

ガレージに戻ると、客が汚した座席の掃除だ。血が付いている時もある・・・・・・12時間働いてもまだ眠れない。畜生、毎日過ぎていくが終わりはない。俺の人生に必要なのはきっかけだ。自分の殻だけに閉じこもり、一生を過ごすのはバカげている。人並みに生きるべきだ」

深刻な不眠の地獄が、「終わりなき日常性の空洞感」を加速させる孤独な人生を、決定的に変容させる「きっかけ」を必要とする男が、そこにいた。

そんな男の孤独な人生に穿たれた空洞感を埋めるに足る、決定的な転機が出来した。一人の女との、「運命的」であると信じる出会いが生まれたのだ。

「初めて彼女を見たのは、63丁目の選挙事務所だ。白いドレスを着て、まるで天使だった。この掃き溜めには・・・あの気品、誰も彼女に触れることは不可能だ」

「人間の屑どもを、舗道から洗い流してくれる雨」を切望する男の、極端にネガティブな妄想を稀釈し、中和化してくれる人格媒体こそ、パランタイン大統領候補の選挙事務所で見かけた運動員のベッツィだった。

ベッツィ
それもまた男の妄想の厄介な発動だったが、彼女との運命的出会いを信じ、それを唐突に告白する男が手に入れた一服の清涼感。

そのとき男は、選挙事務所に堂々と乗り込んで、女にいきなり切り出したのだ。

「ボランティアに来た」
「私を手伝う理由は?」
「君のような美人は初めてだからさ・・・君は独りぼっちだ。ここを通る度に見ていると、君の周りに大勢、人はいて、電話や書類で一杯だが、何の意味もない。ここに来て君に会い、その眼や動作を見ても、君は幸せな人じゃない。君には何かが必要だ。多分、それは友だちだよ」

ピークアウトに達した男の妄想言語は、止まる所を知らなかった。

「・・・俺たちの間には、強く感じる何かがあった。だから、君と話したんだ。さもなければ、君に声などかけやしない」
「初めて、あなたみたいな人・・・“預言者と麻薬の売人”…事実と作り話が半々の、歩く矛盾よ」

呆れながらも、未知の世界に棲む男の妄想言語に、女は一抹の好奇心のみで次のデートを約束させられた。

そして男は女を映画に誘い、呆気なく破綻する羽目になる。

女にポルノ映画を見せたからだ。

その奇怪な行為によって、たった一度のお義理のデートを結んだに違いない関係が、立ち所に破綻する事態すら計算できない男の観念は、どこまでも自己中心的であり、決定的な想像力に欠けていた。

決定的な想像力の欠如に関与する男のメンタリティの根幹には、男の内側に潜む妄想心理という魔物がある。

果たして、件の男が「妄想性人格障害」の主であるか定かではないが、他者と親密な関係を構築できず、孤独を深めるだけの男にとって、妄想心理の身体化による様々な破綻の現実は、男をいよいよ孤独なテロリストに変えていくのだ。



2  「戦士」として、自らを雄々しく立ち上げて



ポルノ映画を見せて呆気なく破綻したベッツィとの関係を修復すべく、トラヴィス・ビックルは執拗に電話をかけ、謝罪する。

「この間は、君の気分を壊して悪かった。別な映画に連れて行けば良かったんだ。機嫌を直してくれ。君は働き虫に喰いつかれ、気が立ってるんだ」

なお妄想言語を繋ぐ男の精神構造には、当然の如く、相手の心理を深く斟酌した言語を紡ぎ出せない。

拒絶された男は、遂にパランタインの選挙事務所に乗り込むが、追い出される始末だった。

ベッツィから全く相手にされない男は、怒号を上げた。

「君のような人間は死んで、地獄に堕ちろ!」

それは、「終わりなき日常性の空洞感」を埋めるに足る決定的な転機を必要とするトラヴィスが、全てを失った瞬間だった。

「やはり彼女も冷たくて、よそよそしい人間だった。そんな奴が沢山いる。女にも・・・」

この一連の「失恋譚」の顛末は、以上の日記のモノローグでも判然とするように、異常なクライマックスに流れていく伏線として、本作の最も重要な場面であるだろう。

全てを失ったと感受するトラヴィスは、ドライバーの先輩に自分の思いの一端を打ち明けた。

「完全に落ち込んだ。ここから飛び出して、何かやりたいと思っている」

この言葉が包含するネガティブな意味が理解できない年配のドライバーは、慰めにもならない言葉を返した。

「どうせ俺たちは負け犬だ。何ができる?」

この言葉に、トラヴィスはもう反応する術を失った。

「こんなバカげた話は初めてだ」

年配のドライバーは、色々、トラヴィスのためにアドバイスを送るが、「お前が何を考えているのか、さっぱり分らん」と嘆息するばかり。

「俺にも分らない」

トラヴィスの嘆息の深さは、誰にも推し量れない世界の中にあった。

「どこにいても、俺には淋しさがつきまとう。逃げ場はない。俺は孤独だ」

日記に綴る男のモノローグが、いよいよ沸点に達しつつあった。

一切は、男にとって了解困難な、女の拒絶という深刻な攻撃性を受けたことに淵源する。

男はこの絶望的な空洞感を埋めるために、遥かに大きなテーマを自らに課し、それを実践検証していくことによってしか自己有能感を確認できない際(きわ)にまで追い詰められていたのだ。

タクシードライバーのトラヴィスが、裏のルートを介して、拳銃を購入したのは殆ど必然的であった。

彼の精神世界が、既に、「悪の巣窟」を一掃するという妄想心理の魔物との親和性が身体化する方向への、その狭隘な出口を抉(こ)じ開ける条件を加速させてしまっていたのである。


「また人生の転機が来た。だが、時は規則正しく過ぎて行く。漠然とした毎日が、長い鎖のように続く。しかし、突然、それが変わった」

男の内側に深々と横臥(おうが)する黒々とした情念は、遂に狭隘な出口を抉じ開けてしまったのである。

マグナム、38口径、コルト25、ワルサーの4丁の拳銃、加えて、メキシコ製ホルスター(拳銃をつり下げるための革ケース)を手に入れたトラヴィスは、かつて彼がベトナム戦争に派遣された海兵隊の前線兵士であったように、今また一人の「戦士」として、自らを雄々しく立ち上げていくのだ。

「なまった体を鍛え直すため、きつい訓練を開始する。毎朝、腕立て伏せを50回、懸垂も50回。薬の乱用や粗食は止め、健康の回復に努めて、全身の筋肉を強化する」

これは、「戦士」として自らを立ち上げた男の、自己改造のマニフェスト。


鏡に向かって、銃の早撃ち訓練を繰り返しながら、男は思い切り感情を込めて、仮想危機トレーニングと思しき独言を繋いでいく。

「俺はここだ、やってみろ。やれって言うんだ、やれよ。止めとけ、バカ。俺に用か?どうなんだ?誰に言ってるんだ、俺か?俺しかおらん。一体、誰と話してるんだ?」

「頭の中で、計画は進んでいた。真の力。他の者はそれを元通りにできない」

男のモノローグは、もう後戻りできないポイント・オブ・ノーリターンの際(きわ)にまで、自らを押し出していた。

その際で、男の戦闘宣言が吐き出されていったのだ。

「よく聞け、ボンクラども。もう、これ以上我慢できん。分ったか、屑ども。これ以上、我慢できん。あらゆる悪徳と不正に立ち向かう男がいる。絶対に許さん。俺さ・・・」



3  眠らない夜の市街地を、苛烈な「前線」に変えた男の主観の暴走



たまたま立ち寄った食料品店で、トラヴィスは強盗を撃ち殺すという事件を惹起したが、命を救われた食料品店主の機転で、トラヴィスはその場を立ち去った。

これが、「戦士」として自らを立ち上げた男による、最初の「戦闘」の実践訓練となったのである。

「戦士」としてのトラヴィスの、「悪の巣窟」のターゲットは既に特定されていた。

アイリスとトラヴィス

売春婦の少女、アイリスの救済のため、少女が「拉致」されていると信じる売春組織の解体である。

以前、イエローキャブを夜勤中に流していたトラヴィスのタクシーに、スポーツと仇名されるポン引きに追われた少女が逃げ込んで来たことがあった。その少女売春婦こそ、アイリスだった。

トラヴィスはそのとき、スポーツに連れ去られて行くアイリスを、同情含みの視線でいつまでも凝視し続けていた。

トラヴィスは、アイリスが「拉致」されていると信じる売春組織の「悪の巣窟」に客として入り、少女と会って、「君を救いたい」と一方的に宣言したのである。

翌日、トラヴィスは、レストランでアイリスと会って、そこでもまた、一方的に説教を結んでいく。

「君が今、付き合っているのは人間じゃない。屑だぞ。そんな奴らのために体を売ってどうなる?あれは寄生虫だ。人間じゃない。ズレているのは、俺じゃなくて君だ・・・奴らから金をもらうな。金の心配は俺がする。しばらく会えないが・・・」

謎の言葉を最後に残して、トラヴィスは少女を親の元に帰そうとする。

「お説教の好きな人ね。間違いはしたことないの?」

少女はトラヴィスの善意を朧(おぼろ)げに理解したが、妄想観念の過剰な男の言葉の暴走に、初めから素直に従うつもりはなかった。

ここでも、男は肥大した妄想の世界に捕捉され、その狭隘な観念の中で踊っていたのだ。

「しばらく会えない」という男の言葉が、何を意味しているか、その直後の映像は鮮烈なイメージを被せて映し出した。

「今、俺の人生は一つの方向に向かっている。はっきりと。初めてのことだ」(モノローグ)

「一つの方向に向かっている俺の人生」とは、ベッツィとの関係を最終的にケリをつけることだった。

彼女が選挙事務員として応援している、大統領候補のパランタインを暗殺すること。これが彼の「やり残した仕事」だったのだ。

トラヴィスはモヒカン刈りになって、選挙演説の集会場に現れた。

演説が終わって帰路に着くパランタインに、一歩ずつ近づいて、トラヴィスは懐から拳銃を抜こうとした。

その瞬間、パランタインを警護するシークレットサービスに気付かれ、トラヴィスは未遂の状態で、素早くその場を逃走した。

その場を逃走したトラヴィスが向かった先は、もう一つしかない。アイリスが拉致されていると信じる売春組織の「悪の巣窟」だった。

「戦士」と化した男は、立ち所にポン引きのスポーツを射撃し、ビル内に入り込んで、組織を仕切る男の右手を撃ち砕き、そしてアイリスの客を至近距離で撃ち抜いた。

更に、なお向かってくる組織のボスの左手をナイフで刺し、顔面を銃で撃ち抜いたのである。


自らも頸に重傷を負い、右腕を至近距離で撃たれたトラヴィスは、最後に拳銃で自殺を試みるが、既に銃丸が切れて未遂に終わった。

まもなく、3名の警官が銃撃現場に入って来て、一切が終焉した。

映像は、この銃撃場面の鮮烈なカットを、天井をくり抜いた階上からの俯瞰撮影で描き出し、鮮血の赤が飛沫となって噴き上げる狂気のスポットの、その爛れ切った凄惨な地獄絵図を、徹底してリアルな構図の内に再現したのである。

眠らない夜の市街地を「前線」に変えた男の主観の暴走を、一貫してフォローする映像は、騒いだ果ての観念のハードランディングに行き着く鮮烈な顛末の内に、映像の勝負を賭けたこの3分弱のシーンの括りもまた、ソフトな描写の欺瞞性を撃ち抜くニューシネマの心意気を検証するものだったのか。




4  バックミラーで凝視した、ギラギラしたハンターの視線の向こうに



男は死んでいなかった。

それどころか、「悪の巣窟」に拉致された一人の少女を命懸けで救出した英雄として、連日のようにメディアを通して報道されていたのだ。

「トラヴィス様 あなたが快方に向かわれたと聞き、家内と喜んでおります。娘のアイリスを迎えに行ったとき、病院に寄るつもりでしたが、あなたは意識不明でした。

アイリスのことは、お礼の申しようもありません。失われた生活が、また元通りになりました。今や、あなたは我が家にとって英雄です。

アイリスの近況ですが、学校に戻り、勉強に励んでいます。環境が変わったことに苦労はしていますが、二度と家出などさせないことをお約束します。最後に家内共々、心より深くお礼申し上げます・・・」

これは、アイリスの親からトラヴィスに贈られた感謝の手紙。

まもなく、復職したトラヴィスは、自分を裏切ったと妄想するベッツィと再会した。彼女の方から会いに来たのである。

「新聞見たわ、元気?」とベッツィ。
「大丈夫。平気さ」とトラヴィス。

それだけの会話だった。


ベッツィを目的地まで送ったトラヴィスは、彼女が降車するところを、バックミラーで凝視した。

紛れもなく、そのギラギラしたハンターの視線は、本作のファーストシーンで見せた男のそれに近かった。



4  「英雄譚」という逆転ドラマの虚構の終焉 ―― まとめとして



トラヴィスの自我の崩れの背景が、海兵隊時代のベトナム経験とどれほどリンクしているか定かではないが、少なくとも、深刻な不眠症の爛れの連鎖の中で、孤独を極めた男の自我の空洞感の広がりが、妄想の果ての「失恋」を招来するに至った経緯については、男の自我の形成過程と無縁であるとは思えない。

DSM-IV(精神疾患の分類と診断の手引き)の7項目の基準(注1)に照らし合わせてみれば、「妄想性人格障害」と不眠症との関連は否定し難いところだが、果たして、件の男が「妄想性人格障害」であると決め付ける根拠も乏しいので、その心理的背景を全く語らない靄(もや)がかかった映像こそ、湿潤性を拭ったスコセッシ映画の本来的世界であると把握し、あとは観る者の想像力に委ねるということか。


(注1)① 十分な根拠もないのに、他人が利用する、危害を加える、またはだますという疑いを持つ ② 友人または仲間の誠実さや信頼を不当に疑い、それに心を奪われている ③ 情報が自分に不利に用いられるという根拠のない恐れのために、他人に秘密を打ち明けたがらない ④ 悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなす、または脅す意味が隠されていると読む ⑤ 恨みを抱き続ける。つまり、侮辱されたこと、傷つけられたこと、または軽蔑されたことを許さない ⑥ 自分の性格または評判に対して他人にはわからないような攻撃を感じ取り、すぐに怒って反応する。または逆襲する ⑦ 配偶者または性的伴侶の貞節に対して、繰り返し道理に合わない疑念を持つ (「DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引き」 医学書院)


ともあれ、殆ど予約された男の失恋は、男の妄想心理の内に、唯一、縋ろうとしていた関係の決定的破綻を顕在化させ、拠って立つ男の自我の安寧の基盤を崩していった。

自我の安寧の基盤が揺らいだ男の内側には、もう「悪魔の巣窟」を自らの手で根絶やしにするという暗い情念の直接的発動以外に、男の人生の変容の契機を実感する手立てがなくなってしまったのである。

やがて男は「戦闘者」としての未曾有の自我を立ち上げていくが、そこに向かう激甚なプロセスを構築するには男にとって、何よりも、「戦士」としての完璧な武装を作り上げていく必要があった。

そして男は、「戦士」としての自己を立ち上げるために、日々、肉体鍛錬に励んだ。

その鍛練の継続性の中で「変容していく肉体」を確認することで、快楽シャワーを相応に被浴し、幾分かでも自己有能感を手に入れたであろう。

今度は、その自己有能感を検証するための行動にシフトしていくこと。

それが、男の究極の目標であるからだ。

男の妄想世界が作り出した、「悪の巣窟」の破壊のターゲットとして特定化された売春組織 ―― 男は、そこに「拉致」されていると信じる少女を救い出さねばならなかった。男は一方的に、その少女と会って「救出」を約束し、去って行った。

まもなく、弓を射る合理性の故に、頭の両側の部分を剃り上げたと言われるモヒカン族の、その戦闘者としてのファッションを真似たのか、すっかり頭髪をモヒカン刈りにした一人の男が、大統領候補の選挙演説会場に立ち現われた。

その選挙事務所で働く女の眼前で、件の候補を暗殺することで、自分を蔑ろにした女への復讐を完遂すること、それは何より、男にとって自己有能感を確認し、それを女に認知させる意味を持つに違いなかった。

男のあまりに短絡的な行為は呆気なく挫折するが、男にとってそんな二次的行為より、「悪の巣窟」の破壊と、少女救出という一大事の遂行が残っていたのだ。男はその足で売春組織に向かい、奇襲攻撃を仕掛け、3人の男を惨殺した。

男は一時(いっとき)英雄になり、自己有能感を手に入れたが、しかし男の妄想を掻き立てるネガティブな情報が鎮まらない限り、男は同じことを繰り返すだろう。

自分の前に再び現れた女が、程なくして去っていく映像の不気味な括りは、かつて「地獄に堕ちろ!」とまで叫ばせた女の、その後姿に送った鋭角的な視線の歪んだ攻撃性を置き土産にするものであり、それは紛れもなく、ファーストシーンで見せたギラギラしたハンターのそれと同質のものだった。

ハンターとしての快楽を存分に被浴した男が、肥大した妄想心理の延長上に、ニューヨークの街を再び「前線」に変えるとき、今度は「英雄譚」というもう一つの快楽をかなぐり捨てて、裸形のハンターとして堂々と自らを立ち上げていくに違いない。

男にとって、何より重要なのは自己有能感の獲得であって、必ずしも、そこに付着する「英雄譚」という快楽の被浴が基本命題でないからだ。

従って、そのとき男は、一人の紛う方なき犯罪者として捕捉され、簡単に娑婆に出られない状況に置かれるだろう。

「選択的注意の心理学」(注2)で説明しているように、男の視界に間断なく侵入する、ニューヨークという「悪の巣窟」に関わる情報が男を限りなく刺激し、その脳裏に深々と内在するジャンクな妄想の観念が暴れて、殆ど統制できない時間に弄ばれるだけであるからだ。

映像で記述されたように、「英雄譚」という逆転ドラマの内に、タクシードライバーに復職した男の、その本来的な物語の終焉が虚構であることは、誰よりも作り手自身が知悉しているだろう。


この映像は、ハリウッド文法のカテゴリーに収斂される、「逆転ドラマの英雄譚」を記録した、大甘なフィルムノワールの現代的再現を狙ったものでも、単純な物語構造の内に自己陶酔する、粗製濫造されたニューシネマの茶番性の二番煎じである訳がないからである。(画像はマーティン・スコセッシ監督)


(注2)「多数の感覚情報の中から特定の情報を取り出して認識することで、カクテルパーティ効果が代表的なもの」(「心理学用語集」より)



5  全ては、「時計じかけのオレンジ」から始まった



―― 最後に、本作に関わる有名な因縁話に触れておく。

2001年宇宙の旅」(1968年製作)の冒頭で使用された交響詩が、リヒャルト・シュトラウスによる、「ツァラトゥストラはかく語りき」(「導入部」)というニーチェの代表的著作であることで分るように、「存在と時間」のマルティン・ハイデッガー、「呪われた部分」のジョルジュ・バタイユ、「狂気の歴史」のミシェル・フーコー等々の、20世紀を代表する思想家のみならず、スタンリー・キューブリックの映像にもまた、ニーチェ思想への傾倒が窺われる。

「善悪」の観念を破壊し、一切の既成の秩序に反逆する映像の挑発性は、吐き気を催すほどのバイオレンス描写の連射に埋め尽くされていた、あまりに毒々しい1本の映像 ―― それが、スタンリー・キューブリックによる「時計じかけのオレンジ」だった。

そして、1971年に製作され、翌年に公開されたこの「時計じかけのオレンジ」を観て、衝撃的な影響を受けたアーサー・ブレマーという21歳の若者がいた。

程なく、大統領選挙を目指していたジョージ・ウォレス(アラバマ州知事)の暗殺未遂事件を起こし、逮捕された。

そして、そのブレマーが残した日記(「暗殺者の日記」)に刺激を受けた若者がいた。その名は、ポール・シュレイダー。

この無名な若者が執筆した脚本が、本作の「タクシードライバー」である。

しかし、こんな毒々しい脚本を映画化する製作会社はなかったが、当時、「ゴッドファーザーPARTII」でアカデミー助演男優賞を獲得し、その徹底した演技によって高い評価を受けていた一人の俳優が、この脚本の映画化に尽力したと言う。


彼の名は、ロバート・デ・ニーロ。

本作で、ハンターの鋭い視線の演技を表現し切ったイタリア系俳優である。

言わずもがな、彼は本作のトラヴィス役を演じた4年後に、「レイジング・ブル」でアカデミー主演男優賞を獲得した名優だが、それを演出したマーティン・スコセッシもまた、ブレマーという若者の過激な行為に刺激を受けた、シチリア系イタリア移民社会をその自我形成のルーツとする映画監督である。

彼の映画で描かれる徹底した暴力描写のリアリズムは、実験的映像でもある本作の中で充分に検証されるところであった。

そして、この映画に少女売春婦の役で出演した、13歳のジョディ・フォスターへのモノマニアックなファンであったジョン・ヒンクリーが、レーガン大統領暗殺未遂事件を惹起したエピソードはよく知られるところである。

全ては「時計じかけのオレンジ」から始まったが、この奇妙で因縁深い「暴力の連鎖」こそ、まさに本作の求心力の凄味であったのか。


(2009年11月)

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