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2010年2月12日金曜日

桜桃の味('97)    アッバス・キアロスタミ


<「映画の嘘」による、小さく自己完結させるヒューマニズムへの拒絶>



1  日常性が溶けていくような恐怖感



それは、唐突にやって来た。

恐らく、緩やかに進行していた毒素だったかも知れないが、何となく遣り過ごしていた不安が、その日、唐突に襲ってきたのだ。

自分の周りの風景がすっかりくすんでしまって、昨日まで見ていたものとどこか違う風景が放射する、恐怖に似た感情に捕捉されたのである。

毎日、漫然と消費していた安物のテレビが、特段の機能を持ち得ない無機質の物体となり、義理の挨拶を交していた程度の知人の顔が、身過ぎ世過ぎに明け暮れる者の日常的な臭気を撒布させる何者かでしかなくなっていった。

日常性が溶けていくようだった。

戸外に出ても、風景の変色を否が応でも感受して、当時、自分の塒(ねぐら)にしていた6畳のプレハブの小屋に慌てて戻って来た。

親しい友人がいたが、彼にも自分の正確な思いを伝えられず、悶々とするだけだった。

翌日、私は思い切って、2キロほど離れた某精神病院を訪ねた。

しかし、碌な問診をしない担当の女医は、訳の分らない薬を処方するだけで、あっさり帰されてしまった。

その女医の反応に頗(すこぶ)る苛立っていた私は、結局、その薬を服用することはなかった。

私をして、そのとき精神病院に運ばせた原因がどこにあったか、当時、全く不分明だった。

今思えば、その症状は「鬱病」と診断されるかも知れない。

生きていることの意味を全く感じられないという、戦慄する日々に恐怖感が突き上げてきて、私は自殺する運命を辿っているのかも知れないと思った。

その名状し難い恐怖感を克服するために、私が選択した行動は二つだった。

一つは市民運動に参加すること。もう一つは、バイトで銀座に通っていた某ビルの警備員の継続に加えて、昼間の空いている時間をも労働で埋めたのである。

余計なことを考える時間を作らないためだ。

複数の作業の継続は、肉体的にも精神的にも相当きつかったが、もう、そのような何かに身を預けなければ「自分が危ない」と感じる恐怖感が突き上げていたのだ。

ともあれ、それが、「自死」という名の恐怖が私に最近接した経験だった。26歳の夏だった。

結果的に、その作業の継続によって辛うじて救われたが、しかしその恐怖感が、いつまた自分を襲いかかるかも知れない不安が塒(とぐろ)を巻いて、以来、私は自分流の「仮想危機トレーニング」を始めた次第である。

思えば、その経験は、10年前、私の身体の自由を奪った「ガードレールクラッシュ」の危機と比較すると、「自分が危ない」と感じる恐怖感の有無において全く異なっていたような気がする。

「ガードレールクラッシュ」は、私にとって、単に、「安楽死」を切望させる感情だけで「死」と向き合う何かだった。

「安楽死」への切望もまた、疼痛地獄に追い詰められた心を安寧にするに足る一種の保険だった。

しかし、「安楽死」の法的整備の実現は不可能だったので、限りなく楽に死ぬ方法だけを日夜考えていたのである。

「ガードレールクラッシュ」を経験した者が、激甚な痛みを随伴する「自死」を望む訳がないのだ。

「ガードレールクラッシュ」以降、私にとって「死」とは、自分の肉塊が抱えた疼痛から解放してくれるための唯一の方法論、即ち、「安楽死」以外の何ものでもなくなったのである。

生きていることの意味を全く感じられないという類の、日常性が溶けていくような恐怖を実感したのは、後にも先にも、「自死」という名の恐怖が私に最近接した26歳の夏以外に存在しなかった。



2  「桜桃の味を無視できるか?」



ここで、映像を考えてみる。

自殺志向の理由を明かさないし、それについて聞かれても、「言っても分らない」と答えるばかりだったが、「桜桃の味」の主人公であるバディもまた、その内側に、生きていることの意味を全く感じられないという心理文脈の中で、日常性が溶けていくような恐怖を実感していたのかも知れない。

彼の視界が捕捉する世界は、「死」と「埋葬」をイメージする、季節の花の咲かないザラザラした土塊(つちくれ)の風景のみであって、季節感の漂う日常性とは切れた心象風景だったからだ。

長々と続く人生の、その紆余曲折の比喩であるジグザグ道を往還しながら、彼は自殺幇助の対象人物を探し回ったが、恐らくそれが、自殺を遂行するに足る、彼の残った最後のエネルギーの分量だったに違いない。

私の場合は、「市民運動と労働」という複数の作業の継続に身を投入することで、余計なことを考える時間を作らないことに全エネルギーを蕩尽しようとしたが、考えてみれば、それほどのエネルギーを残すだけの熱量があったこと自体、既に「自死」という名の恐怖前線での充分な「戦士」であったと言えるだろう。

但し、恐怖前線での非確信的な「戦士」であったからこそ、劣化した理性的文脈の中でもなお、熱量が保証する限りの合理的戦略のバリアを構築し得る知恵とは無縁に、迫り来る「自死」の恐怖からの逃亡に捕捉された、マキシマムに達したかのような不安感情によって、「手当り次第、できることなら何でもやれ」という危うい暴発が可能だったとも思えるのだ。

「人間の真の強さとは、不安に耐える強さ」という心理学の教訓を前提にしたとき、まさにそこでの暴発こそ、「不安に耐える強さ」とは真逆の振れ方だったのである。

ともあれ、自殺幇助者を求めるバディの「砂漠の彷徨」は、自殺以外の人生の選択肢を持ち得ない際(きわ)まで流された者の精神世界を、充分過ぎるほど開示していた。

その意味で、「自死」と最近接した経験を持つ私のケースとは異なるだろう。

しかし、人生の際(きわ)まで流された者の精神世界が開いた風景感は、全てが「死」と「埋葬」をイメージする 「土」という観念と固くリンクしていた。

「土は奇麗だ。万物の親です」

これは、自殺幇助者を求めて、アフガン人に語った彼の言葉。

そんな男が選んだ「自死」と「埋葬」の究極のスポットは、およそ周囲のザラザラした風景と似合わない一本の若木を目印にした、草も生えていない褐色の「土」の世界だった。

遥か上空には、生命の鼓動を喪った、有機物としての遺骸を餌にする鳥の群れが飛翔していて、遠くに俯瞰する町の風景と、天空を仰ぐ「埋葬」の世界だけが待っているのだ。

採土場の殺風景な風景を眺め入るバディの視界には、「自死」と「埋葬」のイメージだけが独り歩きしているのである。

二人の真面目な若者(クルド兵、アフガン神学生)に自殺幇助を拒まれた末に、苦労して自殺幇助予定者を見つけ出したバディは、採土場付近で出会ったバゲリという名のその老人から、自らの経験を通して、自殺することの無意味さ聞かされるばかりだった。

35年間も砂漠に住んでいるという、このトルコ出身の老人の長広舌の骨子を、以下、再現しよう。

「結婚した頃の話だ。疲れて落ち込み、自分を楽にしようと決めた・・・朝早く起きた私は、ロープを持ち、車に乗り込んだ。自殺しようと決意していたんだ・・・家の近くに桑の実の果樹園があってね。あたりはまだ暗かった。頑張ったが、ロープを木にかけられない。下から投げたが1度目は失敗。2度目もダメ。自殺すると決めていたから、木に登り、ロープを枝に結んだ。そのとき、手が柔らかい物に触れた。奇麗で甘い桑の実だった。一粒食べたら甘かった。2つ、3つと食べたよ。気づいたら明るくなっていて、太陽が山の上に見えた。美しい景色が見えた。美しい緑が見えた。そのとき、学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。彼らは木の上の私を見て、木を揺すれとせがんだ。木を揺すると子供たちは、喜んで食べた。嬉しかったよ。その後、桑の実を摘んで、私は家に帰った・・・自殺に行ったのに、桑の実を見つけたんだ。そのお陰で死ななかった・・・」

老人の一方的な話に、バディは時折、反応する。

「桑の実を食べたことで、人生の問題は解決?」
「問題は変わらなかったが、私の考え方が変わった・・・この世に問題のない人などいない・・・朝の奇麗な空や、美しい太陽を見たくはないか?・・・桜桃の味を無視できるか?無視しない方がいいよ。あなたの自由だけど・・・」

ドライブ中、老人は一人で喋り続けた。しかし老人は、決して居丈高な説教者でなかった。

彼はただ、自殺を思い止まった自分の経験を語るのみである。

そんな老人の平行視線に戸惑いながらも、バディは彼の話を頭ごなしに受け流さなかった。


ジグザグ道を登るに従って、日常性から離れていった風景は、逆に、老人が勤務する博物館へと向かう曲折的な下りの道には、季節の木々に花が咲いていて、町に住む人々の呼吸音が身近に聞こえ、日常性への親和力を強化していくという映像が記録されていく。

自殺志願者と自殺幇助予定者を乗せた車が博物館に着いたとき、前者は後者に、自殺のサポートをなお執拗に確認した。

バディは、それでも普通の日常性が普通に機能している、そこだけは文化の香りを残すスポットをすぐに立ち去れなかった。

彼には、まだ肝心な言葉を、老人に届けていなかったのである。

「明日、穴に来たら小石を2個ほど投げてみてくれ。眠っているだけかも知れないから・・・生きているかも知れないから、確かめてみて。約束だ、忘れないでくれ」

日々の生活の掛け替えのなさを、淡々と語り続けるバゲリによって示唆されたものに、バディの中に反応する思いが残っていたからこそ、彼は自分が生きている状況を仮定した言葉を、敢えて届けに来たのである。

「死」を決意した彼の内側には、「生」の可能性に縋る思いがなお張り付いているのだ。

その後の描写は、学校の運動場で元気に走る子供たちのラインと、夕景に見入るバディの余情を多分に含む姿が映し出された。



3  「映画の嘘」による、小さく自己完結させるヒューマニズムへの拒絶



あまりに意外なラストシーン。

本稿の最後に、それを含むテーマについて言及する。

その夜、計画通り、自殺のスポットに向かうバディが映されて、雷鳴轟く夜空の月光を見ながら、彼は自分の墓となる小さな穴に籠っていた。

このようなバディの何気ない振舞いは、あの博物館の老人が、「生きていることの有難さ」を説いた話に重なる行為だった。

やがて朝が来た。

グリーンの山肌(イメージ画像・ブログより
バディの視界に入り込んでいた褐色の風景は、一転、グリーンの山肌に変わっていた。

「もういいよ。聞こえるか?もう休んでもいいと、皆に伝えてくれ。撮影は終わったから」

郷愁を誘うBGMに乗って、本作の作り手であるアッバス・キアロスタミ監督の張りのある声が画面を支配して、主人公のバディ役の俳優が大仕事を終えた緊張感から放たれた表情を垣間見せ、小心のクルド兵役を演じた素人俳優が邪気たっぷりにカメラに向かってポーズを取ったのである。

しかし、なぜここで、映像スタッフらの唐突な登場による演劇的な「異化効果」(注)を想起させる手法の導入という技巧の内に、映像それ自身を相対化させてしまったのか。

ラストシーンの技巧の導入は、「映画の嘘」の中で物語を自己完結させず、「映画の嘘」それ自身を単に強調する効果しかないのではないか。

最初、この映画を観たとき、私はそう思った。

更にその後、丹念に観返してみて、私は多くの想念を得た。

以下、それに言及したい。

「異化効果」を狙った演劇的な技巧の導入の意味を考えた場合、キアロスタミ監督の中で、「自殺の是非論」を含めて、物語の結論はどうでもいいことだったのではないか。

その文脈で言えば、キアロスタミ監督は、自殺を肯定も否定もしていないということになる。

「自殺の是非論」に安直な結論を出すほど、自殺の問題は、人間の容易ならざる根源的な問題であると考えているように思われるのだ。

なぜなら、映像スタッフが、あの時点で映像に侵入するという描写を挿入しなかったら、バディは恐らく、人生の終着点を求める男の長くて重い、その一日の最後を括るに際して、「『桜桃の味』の話で、自殺を思い止まった男」という安直な結論を導き出してしまうのである。

キアロスタミ監督は、この描写を回避したかったに違いない。

彼が言いたかったのは、単に、心の有りよう次第で風景はどのようにでも映ってしまうということであって、「緑の山」を「砂漠の山」と見てしまう「心の在り処」について語ったに過ぎなかったのだろう。

キアロスタミ監督は、まさに日常性が溶けていく男の自我に、日常性の持つ柔らかで吸収力のある、人一人が生きていく分に足るだけの熱源供給力の凄味を確認させたかったのだ。

自我に取り付いているものがほんの少し変わるだけで、自我が捕捉する風景が変わり、何気ないが、それなしに生きられない日常性が復元するとき、人は初めて退屈だが、日常性の持つ安定感を知るに違いない。

そのことを強調するためには、このような「異化効果」の技巧による、映像それ自身の相対化を狙ったのではないか。


それ故、真逆の視座で本作を見れば、一貫してバディの自殺の理由を明かさない映像が象徴するように、本作は、観る者に特段の感情移入を回避するように作られていて、恐らく、「映画の嘘」で小さくまとめるヒューマニズムの内に、物語を安直に自己完結させたくなかったという風に把握することも可能なのである。

そう考える以外にない、あまりに意外なラストシーンの閉じ方だった。

但し、本作について、このような深読みも可能であることを提示しておこう。

即ち、キアロスタミ監督は、以下のように言いたかったのかも知れないのだ。

「緑の山」の風景もまた、その見栄えの美しさを切に求める者たちの「異化」的な心理現象であって、その内実は 「砂漠の山」としてのイランのジグザグ道を正視することから回避しようとする、人の心の欺瞞性に対しても逆照射したかったとも考えられるのである。

ベルトルト・ブレヒト(ウイキ)
私たちは、「緑の山」の幻想にも騙されてはいけないという含意が、そのメッセージの内に含まれているとも言えないか。

そうも思えるのだ。

様々に把握し得る、深みのある99分だったということか。


(注)ブレヒトの演劇論用語で、日常的に馴れ親しみ、見慣れた風景の持つ文脈を希釈化し、観る者に何か不気味で異様なものに見せる効果のこと。観る者に違和感を起こさせることによって、全く異なる視座や思考、発想を提示する方法論として有効な技巧。




4  イラン映画の「純粋無垢」



アッバス・キアロスタミ監督
アッバス・キアロスタミ監督の代表作と言ったら、「友だちのうちはどこ?」(1987年製作)という答えが返ってくるくらい、この映画の知名度と評価は高い。

間違えて隣の子のノートを持ち帰って来た少年が、ノートを返しに行くが、友だちの家が見つからず、肝心のノートも返せなかったという話だ。

その友だちを退学させないために、宿題を代行したことで、退学の危機を免れさせてあげたという物語は愉快であると同時に、「究極の友情論」、若しくは、「究極の冒険譚」(「友だちのうちはどこ?」と探す「大仕事」の困難さ)かも知れないが、「純粋無垢の子供」というフレームが苦手な私にとって、せめて「大人の権威」が確保されている社会の健全性だけは救いとなる一篇だった。

但し、「大人の権威」の確保は、大抵、「純粋無垢の子供」を作り出す共同体社会の経済的貧困を包含するので、それもまた、「豊かさ」→「自由」→「私権の拡大」→「価値相対主義」という流れを必至とするので、「純粋無垢の子供」の価値を絶対化して、それだけを時代状況から特定的に抜き取る芸当の愚かさを肝に銘ずべし。

私にとって、キアロスタミ監督の映像群の中では、「友だちのうちはどこ?」や「オリーブの林をぬけて」(1994年製作)という著名な作品ではなく、何と言っても、セミ・ドキュメンタリーの傑作である「クローズ・アップ」(1990年製作)。

モフセン・マフマルバフの名を騙った、実在の詐欺事件を再現した映像の構築力は抜きん出ていて、その粗筋の解説を上手にアナウンスできないほどに、度肝を抜かれた衝撃作品だった。

「クローズ・アップ」より
私の中では、「クローズ・アップ」こそ、キアロスタミ監督の最高到達点であると断じて止まないのだ。

また、サッカー少年の悲哀を見事に描き切った「トラベラー」(1974年製作)という初期の作品も、作り手の溢れる才能を検証した傑作であったことを言い添えておこう。

更に、キアロスタミ監督以外でも、「クローズ・アップ」のモデルであり、出演者でもあったモフセン・マフマルバフ監督の「パンと植木鉢」(1996年製作)や、児童映画として例外的に忘れられない作品を世に送った、ジャファール・パナヒ監督の「白い風船」(1996年製作)、バフマン・ゴバディ監督の「酔っぱらった馬の時間」(2000年製作)、マジッド・マジディ監督の「運動靴と赤い金魚」(1997年製作)、「太陽は、ぼくの瞳」(1999年製作)などのラインアップが並ぶが、結構、子供を主人公にした映画が多く、相当程度偏屈な私も、「イラン映画の子供の純粋無垢」を嫌悪しつつも、観る者の鑑賞に耐え得る作品には正当な評価を惜しまないということだ。

(2010年2月)

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