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2010年6月4日金曜日

博士の異常な愛情('63)   スタンリー・キューブリック


<「風刺」、或いは、「薄気味悪さ」や「恐怖」という、ブラックコメディの均衡性>



1  「R作戦」、「皆殺し装置」の発動、そして「優生思想」の突沸



何とも緩やかななメロディに乗って、空中給油シーンから開かれた長閑(のどか)な映像は、一転してハードな場面にシフトする。

米国の戦略空軍基地司令官であるリッパー将軍が、突然発狂し、あろうことか、ソ連への水爆攻撃を命令するのだ。

「R作戦」である。

この「R作戦」の始動による水爆搭載機の飛行シーンでは、アイルランド出身の作曲家が作った米国のマーチ曲として有名な、「ジョニーが凱旋するとき」のメロディが流されていく。

一方、ペンタゴンの最高作戦室では、大統領にタージッドソン将軍が「R作戦」の規定を説明している。

「ひとたび、攻撃命令を受けたら、爆撃機の一般通信回路はCRMという特殊暗号装置に接続されます。敵の謀略電波に惑わされないために、CRMは通信を全く受け付けません」

ペンタゴンの最高作戦室で、こんな重大な報告をするタージッドソン将軍に、彼の愛人である秘書から電話がかかってきて、将軍は小声で答える愚かさを露呈する始末。

「頼むから寝ててくれ。飛んで帰るからな」

こんな電話の直後、リッパー将軍が籠る戦略空軍基地への強行突破を考える大統領に向かって、タージッドソン将軍は「死傷者を出すだけです」と言った後、「爆撃機を戻すのが無理なので、今の内にソ連の基地を叩いておくべきです」などと得意げに演説して見せるのだ。

結局、大統領はソ連大使に事態を説明し、撃墜を要請した後、ソ連の首相にホットラインで、自国で出来した内部事情を細大漏らさず話し、危機の共有を求めようとしても、ソ連首相はすっかり酩酊していて、全く話しにならない始末。

「平和こそ我らが職務」という大看板のある、戦略空軍基地に立て籠るリッパー将軍に向かって攻撃が開かれたが、将軍は人質のような存在となった英軍のマンドレーク大佐に訳の分らない講釈をするばかり。

ペンタゴンの最高作戦室
まもなく、ペンタゴンの最高作戦室では、「米国に帰化したとき、ドイツ名の『異常愛』を訳した名」を持つ、兵器開発局長官であるストレンジラブ博士の長広舌が始まった。

それは、ソ連大使が洩らした「皆殺し装置」の事実の検証のためだが、ドイツ出身のストレンジラブ博士(トップ画像)によると、「装置」の具現が可能であるということ。

戦略空軍基地が降伏したことで、リッパー将軍はトイレで拳銃自殺を遂げるが、あとに残されたマンドレーク大佐は、水爆搭載機の呼び戻しの暗号を突き止めた。

呼び戻しの結果、ソ連のミサイル攻撃を受けたため3機が撃墜された以外は、全て戻って来たが、一機の搭載機のみが飛行を継続している事実が確認された。

その一機は燃料漏れのため目的地に辿り着くことなく、投下基地を決めて水爆を落とそうとするが、水爆投下口の扉が開かず、コング少佐が修理に向かい奮闘するものの、投下点で水爆に乗って共に落下していくという有名なオチがついた。

ペンタゴンの最高作戦室。

ストレンジラブ博士
ここで、大統領顧問であるストレンジラブ博士の再登場となり、有名なナチズム譲りのスピーチとなる。

「大統領、人類がほんの一握りだけ生き残るチャンスはあります。この国には深い炭鉱がある。そこに避難するのだ。数週間で、居住空間の開拓は容易に遂げることができよう」
「いつまで地底に?」と大統領。
「そうですな、ざっと百年は掛ります」
「百年も地底に暮らせるものだろうか」
「原子力がエネルギーを供給する。植物は温室で栽培が効くし、動物を育てれば肉がとれる!数十万程度の人間でしたら、楽に収容できるでしょう」
「誰が死に、誰が生き残るかを私は決めたくない」と大統領。

こんな状況下でも、必死に職務(盗撮)に励むソ連大使が、ペンタゴンの隅で、こそこそ動いていた。

さて、大統領へのストレンジラブ博士の返答は、あまりにラジカルなものだった。

「悩む必要はありません。コンピューターで簡単にはじき出せます。若さ、健康、生殖能力、知能、重要な技術の有無などを、データとして与えれば良い。もちろん、政府の高官や軍人は優先的に収容される権利がある。指導者は必要です。当然、人口は急速に増える。何しろ退屈でしょうからな。適当な生殖統制の下、男性1に対して、女性10を交配させれば、現在の国民総生産に、おそらく20年くらいで追いつける」

アメリカ大統領
さすがの大統領も、狼狽を隠せない。

「だが、こうも考えられまいかね。生存者は悲嘆のあまり死者を羨み、生きる意欲を失わないだろうか」
「いいえ。人々は依然として地上に郷愁を感じ、そして未来の冒険を夢見つつ、逞しく生きてゆくのだ・・・総統、歩けます!」

露骨な「優生思想」をぶち上げて、最後に「総統!」と叫ぶ博士のナチズムが展開された直後の映像は、「皆殺し」装置の発動による人類滅亡のメッセージが張り付いていた。

そして、戦慄すべきラストシーン。

“また会いましょう
どこかも知らず
いつかも分らないけれど 
きっと また会えるでしょう
いつか 晴れた日に
だから 笑いを忘れずに
いつも絶えない その微笑みを
青い空の輝きが
黒い雲を払うまで

そして お願い
私の友や隣人に あなたが もし出会ったら
じきに行くわと 皆に伝えて
別れの際に私が
力の限り この歌を
唄っていたと どうか伝えて

また会いましょう
どこかも知らず
いつかも分らないけれど
きっと また会えるでしょう
いつか 晴れた日に “


ヴェラ・リン
ヴェラ・リン(英国出身の歌手)が唄う「また会いましょう」の爽やかなメロディに乗って、核攻撃を受けると自動的に作動するというソ連の「皆殺し装置」が、最後の場面で発動したのである。



2  「風刺」、或いは、「薄気味悪さ」や「恐怖」という、ブラックコメディの均衡性



一貫してネガティブなファクターを内包した政治風刺劇であるが、21世紀状況において継続的、或いは、キューバ危機の恐怖以上にリアリティを持ち過ぎてしまったが故に、最早、ブラックコメディのカテゴリーを逸脱してしまった映画。

「それが本作である」という目一杯の評価をしたいが、私には、本作は些か稚拙過ぎた嫌いがあるように思えた。

タージッドソン将軍に代表されるように、演技があまりにわざとらしいのだ。

コメディの面白さは、俳優が普通に演じるから却って味が出るとも言えるし、そこにブラックという形容が付けば、もう、その映画の本質は、ある種の「薄気味悪さ」を隠し込んでいなければならないだろう。

本作に、その種の「薄気味悪さ」が不足し過ぎていると思えるほど、俳優の演技がわざとらしく、且つ、稚拙過ぎる印象を拭えないのだ。

ストレンジラブ博士
それは偏(ひとえ)に、ソ連首相の酩酊、タージッドソン将軍やストレンジラブ博士のオーバーな演技など、遊び過ぎる演出の過剰であると言わざるを得ない。

事情を知らない基地攻撃隊員が自販機にコインを入れたら、コーラの顔面シャワーを浴びるシーンなど、枚挙に遑(いとま)はないが、結局、この映画は嘲笑的なユーモアとしての「風刺」に力点を置くか、「薄気味悪さ」や「恐怖」に力点を置くかによって、観る者の印象が異なってしまうのである。

両者ともに共存し得るテーマでありながらも、いずれかに力点を置けば、もう一方のテーマは希釈化されるという関係になっていると言えるだろう。

「恐怖の水爆」と「長閑なメロディ」の組み合わせによる対位法の効果が奏功した感のある、本作の作り手であるキューブリックの狙いは、そのいずれにもあったと思われるが、そこに適度な均衡性を確保してしまったため、却って後者の部分、即ち、「薄気味悪さ」や「恐怖」が、前者の「風刺」によって希釈化されてしまう印象を受けてしまうのだ。

そこがSF映画の勝負どころであると思うが故に、主題提起力を存分に感受させるような映像作りの難しさだけが印象付けられてしまうのである。

コング少佐
だから観終わった感想としては、水爆投下におけるコング少佐の抱き合わせシーンに見られるように、ブラックコメディの中のコメディ性の印象だけが強調されてしまったのである。

それこそがキューブリックの狙いであった、と言われればそれまでだが、私には、この種の映画の表現の難しさが露呈された映像にしか思えなかったのだ。

ともあれ、人間の愚かさを揶揄した作り手の意図が過剰なまでに伝わってきたのは否定しないが、私から言わせれば、本作の根源に横臥(おうが)する真の恐怖は、たとえジキル博士の如きマッドサイエンティストが作ったものであったとしても、最強利器を一度手に入れてしまったら、それを使わずにはいられないのが人間の「脆弱性」の証明である、という由々しき現実だった。



3  薄気味悪い地平にまで逢着してしまった新しい世紀のアポリア



この映画を観て、誰でも思い浮かべる国が少なくとも4つある。

「将軍様」の国と、印・パ、そしてイランである。

とりわけ、「将軍様」の国の動向が、私たち日本人には一番気になるだろう。

黄長燁
AFP通信の記事によると、主体思想(チュチェ思想)を理論的に構築した側近でありながらも、「将軍様」の国を亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)のインタビュー記事が鮮烈な印象を残している。

暗殺予告を受け続けていると言われる当人の談話によると、「将軍様」の配下にいる軍人はクレバーでなく、忠誠心の強いだけの単細胞の連中であると言う。

スターリン、毛沢東の例を引くまでもなく、「ナンバー・ツーを作らない」という命題は、絶対的権力を握る国家を率いる者の宿命でもあるということだ。

「将軍様」が、最もクレバーな軍人よりも、忠誠心があって、思考停止している単細胞の軍人を、軍の指導層に多く起用するという心理に内包される事態の怖さを考えるとき、慄然とするものがある。

なぜなら、この国は、我が国と未だ和平条約を締結していない関係にあるからだ。

彼らにとって、「対韓解放戦争」どころか、「対日解放戦争」も未だ終焉していないのである。

言ってみれば、38度線(板門店)で分断され、軍事休戦委員会が常置される状況下にあって、一つの民族による二つの国家の休戦状態がなお延長されているということだ。

そんな中、「将軍様」の健康に異変が起こり、「Xデー」がいつ到来するとも分らないリスクを高めつつある中で、つらつら考えてみるに、仮に「将軍様」の後継者を決定し、国家としての対面を維持したとしても、忠誠心が篤いだけの、単細胞で思考停止の軍人たちの誰かが、「核のボタン」をスイッチオンしないという保証はないのだ。

「北朝鮮が米国や韓国、日本を攻撃すると脅していることについては、全くの虚勢だ・・・この情報は決して公開してはならない。なぜならば、この北朝鮮の秘密を知っているのは私1人だからだ」(AFP通信 2010年4月1日参照)

リッパー将軍(右)
黄長燁はこう断言しているが、単に忠誠心が強いだけの高級軍人であればこそ、本作の「狂気の将軍」=リッパー将軍の出現が起こり得ないとは言えないのだ。

そして次に、印・パの国境紛争。

現時点では小康状態を保っているが、核戦争の危機の寸前にまで緊張したと言われる第一次印パ戦争(1995年)、第三次印パ戦争(1999年)をピークアウトにする、中国を含めたカシミール紛争には依然として終わりが見えないのである。

印・パ共に、米露等の5カ国以外の核兵器の保有を禁止するNPT(核拡散防止条約)に加盟せず、インドの背後でアメリカが影響力を行使することによって、インドの左派たちの激しい反米活動はなお延長されているのだ。

NPT 体制を支える中枢機能の役割を果たすはずのCTBT(包括的核実験禁止条約)が、核実験の停止すら具現し得ずに、なお未批准の国家を多く抱えているため、依然として発効していない現実があるのは周知の事実。

核兵器の原料になる高濃縮ウランとプルトニウムの生産を禁止するカットオフ条約に至っては、条約制定のための交渉の決定的前進すら見られないのである。

NPTを補完するIAEA(国際原子力機関)の事務局長に、我が国の天野之弥氏が就任したこと(2009年12月)で一頻り話題になったが、151ヶ国もの加盟国を持ちながらも、北朝鮮を巡る問題等において露呈されたように、この機関が充分な機能を果たし切っていないという現実があるのだ。

そして何より、パキスタン。

パキスタン→北朝鮮→イランというルートで遠心分離機の部品を売り、それがイランのウラン濃縮計画の発展に寄与したと言われる、所謂、「核の闇市場」(カーン研究所を拠点に核物質を密輸する国際的ネットワーク)に関わったカーン博士(「パキスタンの核開発の父」)の国であり、その政治状況の不安定さは、ラーワルピンディーでのブット暗殺(2007年12月)に見られるように、国内情勢の不安定さは、今や頂点に達しつつあると言ってもいい。

ラシュカレ・タイバの創始者・ハーフィズ・サイード
タリバンやラシュカレ・タイバ(カシミールの分離独立を主唱するイスラム過激派)を育てたとされるISI(パキスタン軍統合情報局)の影響力が依然として強く、更にその向こうには、トライバルエリア(パキスタン北西部のアフガニスタン国境)に隠れ住むであろうアルカイダ系のテロリストたちが多く潜入し、マクリスタル司令官をトップにするNATOアフガン軍のとの激しい戦争は、日を追って増幅してきているという現状だ。

私が思うに、これは文明と文明との衝突ではなく、「文明を維持しようとする者」と「文明を破壊しようとする者」たちとの、人類史上初めての根源的戦争である。

所謂、「ポストモダン・テロ」である。

震撼すべきは、ウサマ・ビン・ラビンの関与が濃厚なアルカイダが核兵器を手に入れるリスクが、日々に増してきているという専門家の指摘である。

現にビン・ラビンは、核兵器の入手を目論んでいる事実が指摘されている。

「私は、自衛のために核平気は絶対に必要であるとも考えている」(オサマ・ビン・ラビン公式伝記(抜粋)・ウサマ・ビン・ラビンからのメッセージ 日本語版に向けて より)

これは、9.11直後のビン・ラビンの言葉。

その信憑性について、陰謀論者の多くは明瞭に否定するが、少なくとも、そのような危険性を認知した上での、「対アルカイダ戦略」を考えるべきであろう。

アフマディネジャド大統領
そして、アフマディネジャドがウラン濃縮率を20%まで引き上げるように命令したと言われ、なお遠心分離機をマキシマムに作動させる国家、イランがある。

イランの核開発問題である。

既に4000基近い遠心分離機によって千キログラムの低濃縮ウランの製造を終え、核爆弾の製造を可能にしていると言われ(IAEA報告)、更に、ウラン235の濃度を高めた核燃料生産のためのウラン高濃縮の過程に入ったともされるが、真偽の程はなお不分明である。

アフマディネジャドの挑発的発言がどこまで信憑性を持つのか疑わしいが、少なくとも、これだけは言える。

現時点(2010年5月21日)でトルコの仲介で時間稼ぎをしているものの、かつて、フランスの技術協力の下で原爆開発を推進していたイラクの原子炉を爆破したように、今また、アメリカの了承を得た上で(?)、パレスチナ国家を承認しない、極右の「我が家イスラエル」の党首、リーベルマン外相を抱えるネタニヤフ政権下のイスラエルが、イランを空爆する危険性は増してきているだろう。

国連本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、東非核地帯を巡るアラブ諸国と米国双方の提案に大きな乖離があり、米とアラブの主張が平行線の現実が埋まらず、当該会議が成功するための最大の難関を突破できていないのだ。(「毎日jp 2010年5月21日付け」参照)

リクード党首ネタニヤフ(2012年6月現在・首相)
そんな中、ロシアと共に核兵器所有2大国を構成する米国は現在、カザフスタンに「核燃料バンク」を構築する構想を持っているが、「燃料の供給国と受給国の二極化につながるとして、途上国などが強く反発している」(共同通信)現状は、まさに「核保有国」vs「核非保有国」の構図を露わにするものだ。

確かに、オバマ政権下の米国が、大部分の弾道ミサイル発射実験と人工衛星の打ち上げに際し、各国に事前通告する方針を固めたと伝えたという報道を読む限り(共同通信)、第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる、米露の新たな核軍縮条約の早期締結に向け、交渉を加速させる努力の意志が窺われるものの(産経ニュース)、真の軍縮の具現化には双方の利害が複雑に絡んで相当に難航すると思われる。

ストックホルム国際平和研究所によると、約2万発から3万発以上と推定される世界の核兵器の存在を無化することの困難さは、結局、先のビン・ラビンのメッセージにあるように、「究極的な軍事的自立=核武装」と考える発想から解放されていないためである。

以上、取り留めないことを縷々(るる)言及してきたが、このあまりにリアルな現実に向き合うとき、私はつくづく思う。

私たちの新しい世紀が切り開いた「ポストモダン・テロ」の恐怖を、果たして無化することが可能なのか。

スタンリー・キューブリック監督(ウィキ)
急性放射線障害を発症させる「地表爆発」や、強力な電磁波を発生させることで、電子機器を致命的に破壊する「EMP爆弾(電磁パルス破壊)」の恐怖を、果たして無化することが可能なのか。

どうやら私たちの新しい世紀は、薄気味悪い地平にまで逢着してしまったようだ。

このあまりにリアルな現実に向き合ってしまうとき、「博士の異常な愛情」を愚劣なまでのジョーク過剰な、稚拙なブラックコメディとして観てしまった私の正直な感懐である。

現代の視座によって、50年前の映画を批評することの無意味さを重々承知の上のことながら、それでも冷戦の真っただ中にあって製作された本作を、当時の視座によって批評したとしても、ほぼリアルタイムで観たときと同様に、やはり完璧主義のキューブリックらしくない、玩具仕立てのような映像の杜撰さに辛口の評価しかできない思いは変わらなかった。

(2010年6月)

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