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2010年8月29日日曜日

エレニの旅('04)     テオ・アンゲロプロス


<極点まで炙り出す悲哀の旅の深い冥闇のスティグマ>



1  「生涯難民」という懊悩を刻む呻き



アンゲロプロスの映像世界の本質が、20世紀という、人類史上にあって、そこだけは繰り返し語り継がれていくであろう特段の、しかし際立って尖った奔流が、脆弱なる抑制系を突き抜けて垂れ流した爛れの様態の中枢に、鋭利な作家精神によって深々と切り込んでいく壮絶なまでの何ものかであることを、最高構築力の成就によって改めて認識させられた一篇。

感傷含みのレトリックのトラップで、安直に言語化し得ないほどの凄い映像だった。

20世紀こそ、アンゲロプロスの拠って立つ自我の大海原のルーツなのだろう。

二度に及ぶ大戦と、繰り返される内戦とクーデタ―、共産主義と革命、ファシズム、国民国家の崩壊の危うさと、それと地続きによる国境と大量難民、等々、20世紀に分娩された厄介なアポリアが、新世紀に入ってもなお延長される脅威をシニカルに視覚するアンゲロプロスの旅程には、終わりが見えないようなのだ。

それにしても、特定個人の悲哀をここまで深く抉り出した映像が、かつて存在しただろうか。


本作のヒロインであるエレニの悲哀の本質は、「想い、愛し、共存し、それを継続する人並みの実感」を手に入れる対象人格を、悉(ことごと)く喪失した冷厳な現実のうちにある。

息子ヨルゴスの遺体を前にして、終わりが見えない慟哭を刻む、エレニのラストカットで閉じる映像の感傷含みの狡猾さに対して、異議を挟めない物語の骨格の太さがそこにあった。

愛する夫アレクシスとの駆け落ちに尽力してくれた、ヴァイオリン奏きのニコスを匿った罪で投獄生活の辛酸を嘗めたエレニが、愛情喪失の甚大な衝撃によって、行路病者のように彷徨った挙句、気を失って路傍に倒れ果てた。

内戦が終結した1949年のことだった。

村人に介抱されたエレニは、夢遊状態の中で、幻覚・幻聴に捕捉された者の呻きを捨てていく。

「看守さん、水がありません。石鹸がありません。子供に手紙を書く紙がありません・・・また違う制服ですね。名前はエレニです。反逆者を匿った罪です。今度はどこの牢獄ですか?・・・看守さん、水がありません。石鹸がありません。子供に手紙を書く紙がありません・・・また違う制服ですね。あなたはドイツ人ですか?名前はエレニです。・・・銃弾は1発は幾らですか?命は一つ幾らですか?・・・制服はどれも同じに見えます・・・私は難民です。いつ、どこへいっても難民です。3才のとき河辺で泣いていました・・・水がありません。石鹸がありません。子供に手紙を書く紙がありません・・・」

エレニの内側に張り付く、拘禁性神経症に罹る患者が引き摺るようなトラウマの恐怖を、うなされながら、寄る辺なき自我が震え、悶え、慄き、怯え切っているのだ。

アンゲロプロスらしからぬ、同じ言葉を繰り返し吐き出すヒロインの呻吟を、執拗にカメラが捕捉するシークエンスが、決して説明過剰な感傷過多のトラップに陥らなかったのは、このシークエンスに至るエレニの半生を決定付ける、寄る辺なき「生涯難民」の心象風景の荒涼感が、観る者に深々と印象付けられていたからである。


それでも、この過剰とも思えるシークエンスに違和感を感じるとすれば、恐らくそこに、作り手の深い思い入れを読み取ってしまうからだろう。

それが無駄な描写ではなかったか否かについては、観る者の受容能力の差異によって分れるだろうが、いずれにせよ、それを承知の上で作り上げたアンゲロプロスの、並々ならぬ覚悟を感受させるシークエンスだったと言える。

20世紀を生き抜いたた、作り手の母のイメージに重なるヒロイン像には、まさにアンゲロプロス自身の深い思い入れが存分に込められていたのだろう。

何よりこのシークエンスは、エレニの自我に鏤刻(るこく)された「生涯難民」という懊悩を刻む呻きだった。

それこそが由々しきことだったのだ。

それは、エレニの心象風景の本質が表現された決定的構造だったからである。


人並みのグリーフワークの時間すら、その自我に入り込む余地すら全くなく、エレニは「生涯難民」という運命を生き抜いていかねばならないのだ。

「生涯難民」という運命 ―― それこそが、エレニの愛情喪失の重い旅のスティグマだったのか。

「生涯難民」という運命を担う、そのエレニが映像に初めてその幼い姿形を現すのは、観る者の心を鷲掴みにして止まないだろう、そこだけはアンゲロプロスの映像宇宙を顕現させるに足る、オープニングシーンにおけるロングショットの重厚な構図の中である。

今度は、その辺りを書いてみよう。



2  極点まで炙り出す「悲哀の旅」の深い冥闇のスティグマ



ロシア革命の渦中で、赤軍の入城によって生活圏であるオデッサを追われ、すっかり疲弊したギリシャ難民が故国に生還して来る悲壮なる荒野のシークエンス。


しばしば、人々の生活圏を分断する境界としてのみ意味を持つ、「国境」を象徴する河畔(注)に向かって近付いて来る人群れの被写体を、アンゲロプロスのカメラが捕捉するオープニングシーンこそ、これから展開する凄惨な物語のとば口として、それ以上ない極め付けの絵柄であった。

まさしく、ワンシーンの構図のインパクトで物語の本質を決定付ける、アンゲロプロスの映像宇宙の独壇場だった。


(注)エレニとアレクシスの黙契であった、「河の始まりを探しに行こう」という言葉が物語の中で拾われていたが、それは「国境」のない別世界への希求であった。「国境」がなければ、エレニのような「生涯難民」は存在しないからだ。


以下、そのシークエンスを再現する。

「テサロニキ湾岸に注ぐ大きな河の畔。1919年頃。霧が緩やかに晴れ、遠くまで見えるようになった荒野の彼方から、一群の人々がやって来た。手には行李(こうり)やカバン。衣服は埃に塗(まみ)れ、優雅な面影はない。一行の長らしい40代の男と、病弱そうな妻。まだ幼い二人の子供。5歳くらいの少年と、もっと幼い女の子。女の子は縋るように、何度となく少年の手を握った。岸辺で彼らは足を止めた。対岸から声が聞こえた」(ナレーション)

「お前たちは何者だ?どこから来た?」

「ギリシャ人です。オデッサから来た。船でテサロニキに着き、入国の許可を一カ月待った。許可が下りて、東に進めと言われている。古代の柱と河が見えたら、そこがお前たちの土地だと。ロシアは至るところ革命で、どこもかしこも赤軍。外国人は、皆、逃げた。ギリシャ人は我々が最後だった。領事が叫んだ。“危険が分らんのか!”と」(一行の長スピロス)

「悪夢が蘇ったように、男は語り続けた」(ナレーション)

「ギリシア人のオデッサ最後の日。赤軍派街に入り、命からがら、最後の船に乗った。今も悲嘆の声が。絶望と叫びと銃声が聞こえる」(スピロス)

「男は続けた」(ナレーション)

「空が黒煙に覆われた。愛する街が燃えていた」(スピロス)

「女の子は少女の手を求める」(ナレーション)

「この娘はわしらの子ではない。流血のプーシキン街で、死んだ母親に縋って泣いていた」(スピロス)

スピロスが語った「この娘」こそ、当時、3歳の幼女エレニだった。

そして、そのエレニが縋るように、何度となくその手を握った少年の名は、アレクシス。

後に、養女のエレニを強引に娶(めと)ろうとした実父のスピロスの支配を脱して、エレニと駆け落ちしたアコーディオン弾きの青年である。

同時に、厳父であるスピロスの実子である。

既にエレニとの間に、双子の男児を儲けていて、裕福な商人夫妻の養子にしてもらっていた。

まるで、ギリシャ悲劇の如き爛れ切った愛憎世界が漂流しているようだった。


然るに、20世紀状況の厳しさは、リアリズムの重量感が物語の冥闇(めいあん)の中枢を突き抜けていく。

憧憬の対象であった、「自由の大地・アメリカ」に旅立った夫のアレクシスとは異なって、一貫して、「エレニの人生の旅」は軟着点の見えない流浪と彷徨の旅であった。

彼女の心象風景には、難民としてしか生きることが叶わない、悲哀の旅の深い冥闇のスティグマが張り付いているのだ。



3  母へのオマージュとしての一篇を支えた、エレニ・カラインドルーの音楽の深い叙情性



アンゲロプロスは、ギリシャ現代史を通して、「エレニの人生の旅」の悲哀を極点まで炙り出していく。

「私の母はこの20世紀を生きた、生き抜いた人物です。彼女は20世紀のはじまりに生まれ、20世紀の終わりに亡くなりました。この20世紀のすべての冒険を彼女は体験してきました。様々な戦争とまわりの人々の死……。私は、母に負うことがある、母のために何かをしなければならない、と考えました。そこで、母に捧げる、彼女の世紀についての映画を作ったのです」【「マスター・クラス、アンゲロプロス」リポート~『エレニの旅』テオ・アンゲロプロス その2/取材・構成 渡辺進也】

これは、来日記者会見でのアンゲロプロスの言葉である。

「いまでは、私は映画が世界を変えるとは思えなくなってしまいました」

アンゲロプロスは、こうも言っている。

それでも、ペシミストのように見える彼は、「映画は、仕事、職業ではなく、“使命”なのです」とも言い切った。

経済的に困難な生活を余儀なくされながらも、映画に人生の全てを賭けているような「全身映像作家」としてのアンゲロプロスが、「永遠と一日」(1998年製作)以来6年ぶりに放った新作は、更に人間の内面の深奥に迫る映像宇宙を顕現させていた。

「母のために何かをしなければならない」(来日記者会見)

このモチーフによって支えられた本作であるが故に、これは、公式HPのイントロダクションに記述されているように、20世紀のすべての冒険を体験した彼の母へのオマージュだったのだ。

シテール島への船出」(1983年製作)以来の、エレニ・カラインドルーの音楽の深い叙情性は、アンゲロプロスの映像宇宙を、いよいよ人間の内面の深奥に迫る映像宇宙に肉薄していくようだ。


まして、母へのオマージュとしてのこの一篇は、映像総体を支え切るほどの存在感を、エレニ・カラインドルー(画像)の音楽が眩く放っている。

「彼女の音楽なしでは私の作品は貧しいものになっていただろう」(来日記者会見)と、アンゲロプロスに言わしめる映画音楽が担っている価値は、本作の生命線と言っていい。

人々の生活を救い、コミュニティを構築し、軍事政権下での閉塞感を癒した音楽の存在価値が本作では決定的役割を担って、映像総体に、抑圧された人々が生きていくに足るだけの湿潤性を与えていたのだ。

エレニ・カラインドルーの叙情的で静謐な音楽は、登場人物の人生の限定的な時間ばかりか、観る者の心をも、厳粛で重い時間のうちに溶融させ得る達成を確保したのである。



4  「好みの問題」としての表現技法



「『エレニの旅』は、映画ほんらいの手作り姿勢に徹することから始まった。難民たちが生活する大きな村落が二つ。これを実際につくりあげ、それぞれ百軒以上の家々にスタッフや俳優たちが住んで暮らしたうえで撮影にかかった。しかも、村のひとつ<ニューオデッサ>は、自然のなかにのどかな姿をあらわす前半から、大洪水で水没し、後半では水中になかば没した姿で主役のように美しいのが驚異的だ。CG技術を排除し、ひたすらアナログに徹して、映画ほんらいの美しさを実現する、そうした冒険と確信がこの映画全体にがっしりと根をはっている」(「公式HP・イントロダクション」より)


この一文を読むまでもなく、「全身映像作家」としてのアンゲロプロス(画像)の、面目躍如のプロフェッショナルぶりは刮目に値すると言える。

その主張は理解できるし、共鳴する点も多い。

ベストの選択であると言っていいかも知れない。

しかし、そのベストの状態を維持するには、当然の如く、コストパフォーマンスの問題を無視できないのだ。

だからアンゲロプロスの主張は、どこまでも「全身映像作家」としての彼の妥協の余地のない映画製作、或いは、拠って立つ映画観・価値観・人生観に関わる物語であって、それ以外ではないだろう。

「デジタルの究極としてのアナログ」の評価を高めたと言われるように、私もまたアンゲロプロスと同じように、CG画像をふんだんに使ったハリウッド映画を好まないし、日本の情感過多のジャンクな作品群をとうてい支持する気にはなれない。

「好みの問題」で言えば、それらは「厭悪」する何かでしかないだろう。

しかし、産業として成り立つ映画製作の存在価値は否定すべくもないし、寧ろビジネスとしての成功を歓迎しない訳ではない。

3次元コンピュータグラフィックス(3D CG)に代表されるCGなど、特殊効果撮影に留まらない、一般映画での多用における「疑似リアル」の画像を作り出した、私たちの現代文明が達成した様々な技術革新の成果を受容するか否かは、それを不必要なものとして確信的に排除する映画製作の「自在性」の権利を保障する意味と等価であるという文脈において、言うまでもなく個人の選択の自由の問題以外ではないのだ。

人は皆、それぞれが拠って立つ「物語」によって生きるから、自由にその権利が認知される法体制下の中で、存分に思い思いの批評を加えていけばいいだけのこと。

私もまた、アンゲロプロスの主義主張には共鳴できない部分は多いし、その発言の内実に反駁する思いも強い。


それでも私は、より内面化しつつある、「アンゲロプロスの映像宇宙」に大いに振れるものがあるのは事実。

内側を豊饒にさせてくれる何かが、「アンゲロプロスの映像宇宙」のうちに感じ取れるからである。

それは多分に、イデオロギーという狭隘な尺度によって、表現作品を一刀両断する愚昧さから抜け出ている現在の地平の「自在性」と無縁ではないだろう。

一切は、「好みの問題」としての表現技法に過ぎないのだ。

(2010年9月)


【テオ・アンゲロプロス監督への私的弔辞】

テオ・アンゲロプロス監督の逝去のニュースを知って、全身の力が抜けたような気がした。

主義主張は違えども、「映像作家」と呼ぶに最も相応しいと信じる、アテネ生まれの一人の映画監督の死は、ベルイマンの死と同様に、観る者に、映像の力をまざまざと見せてくれた独創的な表現者を喪った哀しみでもあった。

そんなテオ・アンゲロプロス監督の秀逸な映像群の中で、私にとって、最も印象深い構図がある。

こうのとり、たちずさんで」(1991年製作)のラストシーンの構図である。

国境を生命線にする国民国家の危うさをテーマにしたこの映像のラストに、黄色い作業着を着た電線マンたちが登場する。

くすんだ空の遥か彼方で、直線的に配列されてある電柱に電気工事の作業員がよじ登って、電線を架けていく男たちが象徴する、「国境を繋ぐこと」の困難さをイメージする構図を初めて観たとき、打ち震えるような衝撃を受けた。

作業のラインが点景になって、空の青を覆い尽くすような淡い紅を、ほんの少し染めたミル ク色の雲に映し出されていく。

静謐をたたえた音楽が画面に溶け合って、それ以上ないメッセージを運んで、結ばれたのである。

映像によるイメージが喚起する力に圧倒された。

凄い映像だった。(拙稿・「こうのとり、たちずさんで」の映画評論より加筆引用)

映像でしか表現できない世界が、そこに堂々と放たれていて、まさに映像というものの凄みを知らされるに至ったのである。

「エレニの旅」より
完成度の高い構築的映像を提示してきた、稀代の「映像作家」の逝去。

事情は不分明だが、生まれ故郷のアテネ近郊でバイクに撥ねられ、搬送先の病院で逝去したと言う。

口惜しい限りである。

享年76歳。

哀悼の意を表します。

(2012年1月25日 16時30分 自宅にて)

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