このブログを検索

マイブログ リスト

  • 覚悟の一撃 2 ―― 人生論・状況論 - イメージ画像(日比谷公園) 価値は表層にあり ―― 表層を嗅ぎ分けるアンテナだけが益々シャープになって、ステージに溢れた熱気が、文明の不滅なる神話にほんの束の間、遊ばれている。表層に滲み出てくることなく、滲み出させる能力の欠けたるものは、そこにどれほどのスキルの結晶がみられても、今、それは何ものにもなり得...
    4 年前
  • パラスポーツが世界を変える - 【全ての医療従事者たちに深い感謝の念を抱きつつ、起筆します】 若きエース・鳥海連志選手 *1 今、地球上で最も変革を起こす力のあるスポーツの祭典が始まる* 「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」(It's ability, not disability, ...
    2 年前

2012年1月27日金曜日

浮雲('55)       成瀬巳喜男



<投げ入れる女、引き受けない男>



序  成瀬巳喜男との、偶然性の濃度の稀薄な邂逅が開かれて



映画を観に行くことが最大の娯楽であった時期が、私にもあった。

その経験は青少年期の記憶の内に深々と灼きついていて、そこで得た様々に刺激的な情報は、今でも私を新鮮にしてくれる何ものかになっている。

私の映画三昧の生活は、脳内のアドレナリンを分泌させた、あの東京オリンピックをリアルタイムで観た1960年代半ばに始まった。高校時代だった。

それまでも、祖父が地元の場末の映画館で清掃夫の仕事をしていた関係で、小さい頃から私は子供が普通に熱狂する類の娯楽映画に親しんでいた。

その中心は、何と言っても東映時代劇。中村錦之助、大川橋蔵といった花形スターがスクリーン狭しと暴れまわる格好良さに、殆ど釘付けの状態だった。


映画と言えば、ハッピーエンドの娯楽劇しか知らない私の内側に、風穴を開けるような衝撃が走った。

二本の映画が、私の内面深くを突き刺してきたのである。

その映画の名は、「動乱のベトナム」(注1)と「日本列島」。

そこに描かれた世界は、私の日常と完全に乖離していた。

だからそのインパクトが大きかったのである。

世はまさに、ベトナム反戦のグローバルなうねりが時代を呑み込みつつあった頃だ。

それまでテレビで、「判決」、「七人の刑事」、「人間の条件」などのシリアス・ドラマを好んでいた私は、社会に対する問題意識の萌芽があったので、映画の衝撃はストレートに突き刺さってきた。

私も「何かやらなくてはならない」などと思いつつも、何をしていいのか分らなかった。

だから暫くは単なるノンポリで、無教養な少年でしかなかった。

観る映画も娯楽と社会派のごった煮で、何でもありだった。


(注1)1965年に、新理研映画社が製作し、大映が配給した長編記録映画。ベトナム戦争の只中で、サイゴンを舞台に記録した映像の中身は、仏教徒の焼身自殺やアメリカ大使館爆破、ベトコンに対する壮絶な暴力や殺戮など、刺激的な内容に溢れていた。監督は赤佐正治。

(注2)1965年、日活。吉原公一郎の原作(「小説日本列島」)を、当時デビュー二作目となる熊井啓が脚色、監督した反米プロパガンダ色の強い社会派ムービー。キネマ旬報第二位の評価を受けた。


「日本列島」より
そして私の観念もやがて左傾化していくが、それでもごった煮の映画三昧は変わらなかった。

私が「浮雲」という映画と最初に出会ったのは、ちょうどそんな時だった。

成瀬巳喜男という名も、その作品の名も知っていたが、しかしその知識は、当時、他の多くの映画愛好者がそうであったように、「『浮雲』の成瀬巳喜男」という範疇での理解を越えるものではなかった。

しかし映画の内容は、ズブズブの大人の恋を経験したことがない私にとっても感銘深いものであった。その映画のどこに感動したか、今となっては不分明だが、とにかく心に残る印象深い作品であったことは間違いない。しかしそこまでだった。

まもなく私の網膜には、「通俗映画」を遮断する幾重ものバリアが築かれて、そんな狭隘な社会的感性が認知する映像は、当然の如く、「社会派」作品に限定されるに至ったのである。

金日成の公式肖像画ウィキ
「金日成伝」(白峯著 雄山閣刊)という分厚く赤い本(無論、当時、この手の著作が「トンデモ本」の類であることを知る由もない)を愛読する当時の私には、東映のヤクザ映画や大映の「座頭市」映画は許容できても、小津や溝口の映画は通俗の極み以外の何ものでもなかったのだ。

そんな私がアルバイトを続けながら、30代に入ってなお企業への就職を厭悪(えんお)して、東京練馬区の片隅で補習塾を細々と経営する生活に入ったが、そこで経験した様々な事柄が、私の中に澱んでいた奇麗事の観念を払拭するに至ったのである。

そこで何かが壊れ、何かが修正されつつ、未だ「確信」に届き得ないという不快な気分を延長させた状態で、自分の内側に温存されていった。

それでも、壊れたものは内実がなく、無力なるイデオロギーであり、温存されたものは、それでも捨てられない人間学的、且つ、実存的な思いの束だったに違いない。

30代半ばになって、私は再び映画三昧の生活に入っていった。

しかし、今度は逆に娯楽映画を観ることができなくなってしまった。単に時間潰しだけの、面白いだけの映画に私の心は全く振れなくなってしまったのだ。

それと同時に、それまで「通俗映画」と観念的に片付けていた作品の中に、珠玉のような輝きを放つ映画が存在することを知って、私は自分の中で何かが大きくシフトする流れを感じ取ったのである。

成瀬巳喜男との、偶然性の濃度の稀薄な邂逅が開かれた。衝撃的だった。言葉に出せないほどだった。

小津や黒澤は嫌というほど観てきたが、成瀬についての情報が表面的なものでしかなく、しかも「浮雲」以外の作品を観ていない自分の不明を恥じたほどである。

素晴らしかった。観たものを人に話さざるを得ないような、名状し難い感動が私の中に溜まっていったが、それを話す相手がいなかった。

成瀬について多くのことを知りたくて文献を求めたが、それもなかった。信じられなかった。当時、誰も成瀬のことを多く語っていなかったし、その作品を観る者も少なかったのである。

そんなときに出会った一冊の本。

「成瀬巳喜男 日常のきらめき」(キネマ旬報社)。

スザンネ・シェアマン
その著者はスザンネ・シェアマン。

日本在住のオーストラリアの研究者だった。それにも驚いた。しかし、私の行きつけの市内の図書館では、結局、この本しか置いていなかったのである。

これほどの映像作家の解説本の少なさに、正直、驚きを禁じ得なかった。

その理由が全く分らなかった。私は意地になって、成瀬の作品を繰り返し繰り返し観続けた。舐めるようにして、吟味するようにして観続けた。

「井の中の蛙」とはよく言ったもので、私は知らなかったが、成瀬の再評価は当時既に始まっていて、都内の各館でも彼の作品の上映会が地味ながらも継続していたようだ。私は少し安堵した次第である。

成瀬との出会いがなかったら、私はこの国の50年代映画の隠れた傑作と出会えなかったかも知れない。まして、戦前のサイレント映画まで鑑賞の対象を広げようとは思わなかったはずである。それもまた、成瀬の「夜ごとの夢」という作品のお陰である。

成瀬は私にとって最高の映画監督であり、その作品は、私の曲線的な人生の、その細(ささ)やかなる糧になっていると断言できる。

「稲妻」より
中でも、「浮雲」は、「稲妻」とともに私が最も愛好する作品である。

その作品の完成度の高さに於いては、「流れる」という抜きん出た傑作に及ばないと私は勝手に思っているが、好みから言えば、私には「浮雲」しかないのだ。



1  終りが来ない滅入るような描写の連射 ―― その天晴れな表現宇宙



―― 長い前置きになったが、その「浮雲」についての雑感から書いていくことにする。


「浮雲」―― それは多分に諧謔性を含んだ一連の成瀬作品と明らかに距離を置くような、男と女の過剰なまでに暗鬱なる情念のドラマである。

大体、ここまで男と女の心の奥の襞(ひだ)の部分まで描き切った映画が他にあっただろうか。

時代がどのように移ろうと、男を求める女の気持ちが変わらないばかりに、時には冷笑し、弄(もてあそ)び、突き放し、惰性に流されていく小心で凡俗な男に縋りつくことを止められず、どこまでも狂おしいそんな自我を曝(さら)して生きた、痛々しいまでに哀切な女の振幅の記録。

映像の大半は、この男と女の遣る瀬無い表情と、発展性のない会話に埋め尽くされる。

滅入るような描写の連射に終りが来ないのだ。そんな天晴れな表現宇宙に脱帽する外なかった。


女の死によって初めて知る女への深い愛、という安直な解釈で括るのは止めよう。

男はただ、どこかで予期していた女の突然の死に狼狽(うろた)えただけなのかも知れぬ。

男はいつもどこかで降りたかった物語の呆気ない結末に安堵しつつ、集中的に襲ってきた女へのノスタルジーに慟哭したのだろうか。

一切が真実であるとも言えるし、何もかも幻想であるとも言えるのだ。

時代の多少の制約を受けつつも、男と女の問題の闇の深さは限りなく普遍的だ。

この映画は特別な人間の、特別な展開と軌跡を映し撮ったものではない。

仏印での富岡
或いは、富岡とゆき子は私であり、あなたであり、その友人であるに違いない。

だからこそ、多くの者は了解し得るであろう。愛はときめきである以上に、しばしば最も苦しくストレスフルなものであることを。

ゆき子の哀しさにどこまで迫れるか。

それは観る者の人生の色彩と、その微妙な濃度の差異によって決まるだろう。

完成度の高さは別にして、この映画に対する評価はゆき子への感情移入の度合いによって分れるとも言える。

少なくとも私にとって、この映画は世界でナンバーワンの超一級の作品である。

ゆき子を演じた高峰秀子の演技は完璧すぎて、他の追随を許さない。

全篇を通して流れる気だるさ含みの叙情的音楽もまた、映画の完成度を高めている。

この日本映画史上の最高傑作を、私はこれからも幾たび観ることになるだろうか。

繰り返し観ていく中で何かを新鮮にし、何かを補っていく。それはもう、殆ど私の趣味である。



2  泣き崩れる女、俯く男



―― 私の心の襞(ひだ)に永遠に灼きつくであろう「浮雲」のストーリーを、詳細に追っていこう。


昭和21年初冬。

一人の女が仏印(仏領インドシナ=現在のベトナム)から単身引き揚げて来た。

まもなく女は、代々木上原にある男の家を訪ねていく。

焼け跡の東京の風景は、この国の他の都市の多くがそうであったように、あまりに荒涼としていた。


そこだけが何とか戦災から逃れたらしい、古寂(ふるさび)れた木造の一軒の平屋の前に女が立ち、玄関を開けるのを躊躇(ためら)う気持ちを振り切って、女はどの硝子にも筋交(すじか)いにテープの貼ってある格子戸を開け、「富岡さんいらっしゃいますか」と、玄関に出て来た50年配の上品な女性に向かって尋ねた。

「ちょっと、お待ち下さいませ」

言葉遣いも上品な婦人に促されて出て来たのは、これも上品だが、地味な出で立ちの30過ぎの印象を与える女性だった。

明らかに、着の身着のままで訪問した女とはコントラストの外観を際立たせているが、映像に映し出された相手の女の生気のない印象は、この女の色気のなさを露呈しているようでもあった。

その作った笑顔から鈍く光る金歯の造型が、いかにも婦人の年輪を感じさせるものがあったからだ。

映画の冒頭のこの訪問シーンを、林芙美子の原作から検証してみよう。

「電車で見る窓外の景色は大半が焼け野原で、何も彼も以前の姿は崩れ果ててしまっているような気がした。

やっとその番地を探しあてて富岡の名刺の張りつけてある玄関を眼の前にして、ゆき子は妙に気おくれがしてならなかった。同居しているらしく、別の名札が二つばかり出ていた。荒れ果てた家で、どの硝子にも細かいテープでつぎたしてあった。

夜来の雨で表われた矢竹が、箒(ほうき)のように、こわれた板塀に凭(もた)れかかっている。細君に顔をあわせるのが厭(いや)であったが、電報を打っても返事が来ないところをみると、自分で尋ねていくより方法がない。

ゆき子は思い切って硝子のはまった格子戸を開け、農林省からの使いだと案内を乞うた。五十年配の品のいい老婦人が出て来て、すぐ奥へ引っこんだが、思いがけなく着物姿の背の高い富岡がのっそり玄関へ出て来た。富岡はさほど驚いた様子もなく、下駄をつっかけて外へ出ると、黙ってゆっくり歩き出した。ゆき子も後を追った」(「浮雲」林芙美子集 新潮日本文学より/筆者ルビ・段落構成)

実は原作には、このとき富岡夫人は玄関に現れない。

映像の中で、ここに夫人を登場させたのは、恐らく夫人の生気のない印象を観る者に、ストーリーの伏線として与えるためだろう。

閑話休題。

訪問した女の名は、幸田ゆき子。

幸田ゆき子
彼女は戦時中富岡の愛人であり、「妻と別れて君を待っている」という言葉を信じて、男を訪ねて来たのである。

世紀末のようなまるで生命の律動を感じない風景の中を、二人はその律動に合わせるかのように、ゆっくりと、寄り添って歩いていく。

映像全体を象徴する、いかにも気だるい音楽が、二人の後姿を包み込むように追い駆けていく。

成瀬の映画音楽を担当した斎藤一郎のエキゾチックだが、しかし叙情的なメロディが、ここではまさに一級の「メロドラマ」の雰囲気を漂わせて、作品の中に完璧にフィットしていた。

「元気だね。仏印のことを思うと内地は寒いだろう」
「電報着いて?なぜ、返事くださらないの?」
「どうせ東京に出てくると思った」

男はわざわざ自分を訪ねてきた女に対して、初めからかわしていく態度を覗かせる。

男が着替えに戻っている間、女は全く人いきれのない寂れた風景の中で、仏印で富岡と最初にあった日のことを思い出していた。

二人は、今度は闇市のごった返した雑踏を潜り抜けて安ホテルに落ち着いた。

「内地も変わったわねぇ。こんなに変わっているとは思わなかったわ」
「敗戦だもん。変わらないのがどうかしてるさ」
「遥々(はるばる)、引き揚げて来て・・・・」
「君だけじゃないよ。引揚者は」
「男はいいわ」
「呑気だよ、女は」

ゆき子は、まじまじと富岡の突き放したような表情を覗くだけ。

そこには、明らかに愛し合った、ほんの少し前の関係との隔たりを感じさせる寂しさが映し出されていた。一切は幻想だったのか。

「いつまでも、昔のこと考えても仕方がないだろう」
「昔のことが、あなたと私には重大なんだわ。それを失くしたら、あなたも私もどこにもないんじゃないですか」

終戦が、二人の関係を切ってしまった。

仏印でのロマンス
仏印での出来事は、富岡にとってどこまでも旅先でのゲームであり、日本に戻った生活こそが現実そのものの世界に他ならない。

ゆき子には、それが心のどこかで理解できていたとはいえ、やはりどうしても消すことができない大切な記憶に他ならなかった。

彼女には旅という観念がなく、それ以上に終戦という未曾有の歴史的出来事で、時間を区切っていく観念が全くなかったのである。

富岡はそんなゆき子に、現金を包んだ封筒を徐(おもむろ)に差し出した。

「いや!いらないわ。逃げてくの?私を捨てるつもりなのね。あなたに会いたい一心で戻って来たのに」

「君に気の毒だと思うからだよ。正直に言えば、僕たちはあの頃夢を見ていたのさ。こんなこと言うと、君は怒るだろうが、日本へ戻って丸っ切り違う世界を見ると、家の者たちをこれ以上苦しめるのは酷だと思ったんだ。とにかく戦時中をだな、僕を待っていた者に、ひどい別れ方はできなくなってしまったんだよ。別れるより、仕方ないよ」

「嫌よ!それじゃあ、あなたたちさえ良ければ、私のことはどうなってもいいの?そんな簡単なものなの」
「君は疲れているんだ。自分のこと、よぅく考えてごらん」

「初めっから、家や奥さんが大事なら、真面目に通したらいいのよ!・・・・・・別に奥さんを追い出したいなんて思わないけど、君が帰るまでにはきちんと解決して、奥さんとも別れて、さっぱりして君を迎えるなんて。そんなら玄関で会ったとき、奥さんたちとの前で、はっきり宣言したらいいのよ。日雇い人夫をしてでも二人で生きようだなんて!帰ってみれば虫けらのように、叩き捨てられるのね。勝手なもんだわ!」

女はここで泣き崩れた。

男は終始無言で、俯(うつむ)いているだけ。

ここに、男の側から別れを言い出したときの定番的な会話がある。

捨てられることを予感しつつも、女の側からなお身を投げ入れていくどうしようもない感情のうねりがあって、男はただこの一時(いっとき)を耐えればいいという身勝手な思いによって、女の前でひたすら恭順するように座り続けているのだ。

こんなとき、男の心中では大抵、他のことを考えることで遣り過ごしている。

遣り過ごすことだけが、男にとって今、最も不可避なる態度であるからだ。

その態度を陰鬱な表情を添えて、女の前に見せていればそれで済むことなのだ。

重い債務的なものを引き受けない男の典型が、ここで存分に映し出されていた。



3  男を追う女、皮肉を捨てる男    



富岡と別れたゆき子は、生活のために娼婦になっていた。


それでも彼女は男を忘れられないでいた。ゆき子からの手紙を受け取った富岡は、外見的に殆ど娼婦と見間違えることのないゆき子を、そのバラック建ての粗末な造りの家に訪ねた。

「幸福そうだね」
「そう見える?」と睨むように言った後、「日干しにならなかったっていうだけね」と続けた。
「羨ましいなあ」

これも男の言葉。その言葉の内には、屈折した思いが隠されている。

「何言ってんのよ。何が羨ましいの?こんな暮らしのどこが羨ましいの」

当然、女は反発する。

「・・・・何もかも上手くいかないとね、惨めに人の暮らしだけ羨ましくなるんだ」
「人を馬鹿にしてる。男って勝手なもんだわ」

自分の暮らし向きの不調を訴えながら、男はここでもまた、何とか工面した金を渡そうとするのだ。

「もう遅いわ」

女は男に視線を合わせずに、そう答えた。

「ダラット(注3)に残って、あっちで一緒に暮らすんだったね」

男はそれとなく未練を残すような反応をした。そこに、ゆき子のパトロンのような米兵が訪ねて来て、ゆき子は相手を中に入れずに、大男を抱えるようにして街路に消えて行った。

富岡はそこに一人残されて、女の帰りを待っている。

まもなく女が戻って来て、暗い室内に蝋燭(ろうそく)を灯して、米兵との経緯を話した。「どうして知り合ったんだ」という富岡の、未練を含むような問いかけがあったからだ。

その米兵がまもなく帰国することを女が話したとき、男の反応には毒気があった。

「また、次を探すんだね」

ゆき子から、その米兵が如何に「いい人」であるかということを聞かされた富岡の皮肉は、明らかに嫉妬感の裏返しだった。

「あなたって、そういう人よ」

ゆき子には、そんな富岡のニヒルな態度の奥にあるものが透けて見える。そんな男に魅かれる自分の気持ちの説明し難さもまた、百も承知である。

「今夜、泊まってもいいかい?」

この男が本音に近いところを剥(む)き出しにするのは、常に関係が作る空気を測って得た時宜に嵌った場面に於いてである。

男はいつもどこかで計算しているのだ。女もそれを分っているから、相手の誇りを傷つけない程度の皮肉で返していく。

しかし今、女は内側でプールされた感情を吐き出さざるを得ない心境にあった。

「泊まるつもりで来たんじゃなかったの」
「そのつもりさ」

「嘘言ってる。急に泊まりたくなったんでしょ。分るわ。あたし一つ利口になった。あなたってやっぱりそんな人だったんだわ。あたしをすっかり眩(くら)ましたつもりで、女を甘く見ちゃいけないわ。まるで何一つできもしないで、あたしを馬鹿にしないでちょうだい。自分の都合のいいことばかり考えて、その程度で女をどうにかする気持ちって、貧弱なもんだわ」

「君は逞しいさ。敬服するよ」
「あなたの力じゃどうにもならないんでしょ。あたしと一緒に暮らすことができなければ、あたしの生活はあたしでやっていくんだから、そのつもりでいて下さいね」
「邪魔はしないさ。邪魔はしないが、時々は遊びに来てもいいんだろ?」
「いや!そんなの!」

女はもう、それ以外にない激しい感情を返していく。 

「営業妨害かね?」

相手はどこまでも喰えない男なのだ。  

「まあ・・・それがあなたの本心なのね」

気まずい沈黙の後、男はそっと立ち上がり、静かに女の前から姿を消した。女は恐らくここまで言うつもりはなかったのだが、しかしその心の奥にあるものを、このときばかりは吐き出さざるを得なかったのである。

それでも、女は男が恋しい。だから女は男を追った。急いで追った。しかし、そこに男はいなかった。女の表情に悔いの念が刻まれていた。


(注3)フランス人によって開発されたベトナムの観光的な高原都市で、今や避暑地となっている。



4  時代と接続しない男と女



まもなく別れた男から連絡があり、女は嬉々として男を待った。

千駄谷の駅前である。

赤旗の行進・(イメージ画像・沖縄「5・15平和行進」)
そこに赤旗を掲げた労働者たちの、まるで魂を解き放ったかのような力強い行進が列を組んで進んでいく。画面に収まり切れないエネルギーが駅前を澎湃(ほうはい)し、うねりを上げて空間を支配しているようだ。

しかし全く時代と接続しない男と女が、その隊列を横切るように物憂げに歩いていく。

世界がどれほど変わろうと、時代がどれほど移ろうと、その流れにクロスできない男と女。自分の内側に抱えた澱んだ感情に翻弄されて、二人は眩いばかりの陽光を背に浴びながら、そここだけは舗装されてある道路の定まったラインの上を、凭(もた)れるようにして歩いている。

因みに、赤旗の行進の描写は原作にはない。

しかしこの描写こそ、映像を通して最も印象的なシーンの一つであると言っていい。映像の固有の表現力が際立つ描写だった。

「ねえ、どこまで歩くのよ」
「渋谷にでも出てみようか」
「あたしたちって、行くところがないみたいね」
「そうだな・・・・どこか遠くへ行こうか」

毒気をお互いに意識的に抜いた何気ない会話の中に、既に二人の関係の有りようを見事に映し出していた。

「行くところがない」二人の関係世界だったが、取り敢えず、二人は旅に出た。



5  空疎な浮遊感の中に ―― 置き去りにされた女、世俗と切れない男    




群馬県伊香保温泉。

それが彼らが選択した「遠く」の世界だった。

特急列車も満足に走っていないこの頃の人々にとって、伊香保への旅は、それなりに世俗と切れる精一杯のユートピアだったのだろうか。

しかし二人は、どこへ行っても世俗とは切れなかったのである。

伊香保温泉。正月である。

しかし、二人がこもった部屋には、正月の厳粛な空気とは無縁な空疎な浮遊感があった。

「・・・・あたし諦めちゃったの。気が向いたときがあったら、こうして会ってもらえばいいことよ」

それには答えず、富岡はゆき子に切り出した。

「・・・・君は死ぬとしたら、どんな方法がいいの?」
「そうねぇ。青酸カリが一番楽なんでしょうね」
「僕は君と榛名にでも登って、死ぬことを空想していたんだがね」
「偶然だわ。あたしもそんなこと、この間考えたことあったのよ」

一瞬、富岡はゆき子の顔をまじまじと見て、眼を逸(そ)らし、沈んだ表情で酒を飲み注いだ。

「あなたそれで来たの?ここへ」

冗談交じりに反応していたゆき子は、男の沈鬱さを前に表情を強張(こわば)らせた。


伊香保の温泉の湯に、二人は浸(つ)かっていた。

「ねえ、あたし、あなたをもっと生きさせてあげたいのよ。いっそお正月をここで暮らしていかない?」
「明日帰るよ。君とは死ねないよ。もっと美人じゃなくちゃ駄目だ」

帰るつもりの富岡は、偶然出会った飲み屋の主人、清吉に時計を買ってもらって、おまけに主人の誘いでもう一晩温泉に泊まることになった。

富岡はここで、清吉の年の離れた女房のおせいと知り合って、忽ちの内に男女の関係に発展してしまう。

上京してダンサーになることを願うおせいにとって、富岡の存在は東京に誘ってくれる使者でもあった。

ゆき子には、そんな関係の展開は疾(と)うに見透かしている。全て分っていても、男を恋うるゆき子は、そんな自堕落な男の前で嗚咽してしまうのだ。

「どうしたんだい」
「どうもしないわ」
「疑っているのか・・・・少し歩いてみようか・・・・僕は神経衰弱なんだよ。寂しいんだ。どうにも遣り切れなくなるんだ」
「・・・・あなたって大変な方なんだから」



おせい(左)
ゆき子の涙は最後まで止まらない。既に諦めている。



6  暗い線路沿いの道を、夫婦のような歩調を刻む男と女



結局、二人は伊香保での滞在を切り上げて帰郷した。

「まだ気にしているのか」と男は、ゆき子の粗末な家で、その引き摺っている思いを確かめる。
「あなたって怖い人だわ。自分のことばかり可愛いんでしょ」
「可愛いいから生きるのに未練があるんだ。死ぬのは痛いからな。もうそんな勇気もないね」
「しょうがない人ね。それで他人にはよく見えるんだからいいわ。見栄坊で、移り気で、そのくせ気が小さくて、酒の力で大胆になって、気取り屋で・・・・」
「気取り屋か、それからまだあるだろ?悪いところが」
「ええ、人間の狡さは一杯持って、隠している人なのよ。そのくせ、事業の方にはてんで頭が働かないところはお役人的なんでしょ」

こんな気だるい会話しか、二人は繋げない。

それでも別れられない。男の感情も捨てられてないが、女のそれはもっと捨てられてないからだ。伊香保に残したおせいへの嫉妬感も、当然捨てられていない。

そこに女が触れたとき、男はきっぱりと言った。

「もう遅い。捨ててきた。人生は別れ際と勘定時が大切だからな」

しかし、男はおせいと別れていなかった。

上京したおせいはアパートを借りて、そこに富岡も同棲していたのである。

何もかも分っているゆき子だが、それでも浮気者たちの仮の巣を訪ねていく。おせいはそこにいた。

富岡が留守であることを知って、部屋で待たせてもらうというゆき子の態度に、おせいはきっぱりと言い切った。

「あの人、奥様の方にお帰りになってるんです。昨日いらしたばっかりだから、当分ここにはいらっしゃらないんですけど。奥様もお具合が悪いもんですから」

そんな若い娘の嘘を見抜いたゆき子は、外出したおせいに入れ替わるように、一人寂しく他人の部屋で待っていた。裏切られてもなお諦めきれない感情が、女の中で哀しいまでに澱んでいる。

その女の心に合わせるように、男は部屋に戻って来た。

「いつ来たの?」

男は、いつものように全く驚く素振りを見せない。

「おせいさんに会いましたわ」

拗(す)ねるように帰ろうとした女を、男は引き留めた。この状況では、それ以外にないという嗅覚のような判断で、常に男は女とクロスしてきたに違いない。

女もそれを分っている。それでも男の話を聞いてしまうのだ。

「君は僕を嫌な奴だと思っているだろう」
「ええ」
「しかし伊香保から帰った日、君とはもう・・・・」
「そうよ。どうせあたしは捨てられたんだから。何も方々探し回ってくる必要はなかったのよ」

グダグダと言い訳をする男に対して、女は自分が富岡の子を宿していることを告げた。子供のいない男はそれを聞いたとき、懐妊している子を是非産んでくれ、と女に頼んだのである。女は迷っているようでもあった。


暗い線路沿いの道を二人は、まるで夫婦のような歩調で歩いていく。

声高の会話のない静かな律動が、まるで予定調和のストーリーで流れていくような印象的なシーンである。

自分の子を産んでくれと再び頼む男の思いが、女の心に優しく寄り添っているからであろう。



7  無邪気な子供の世界と、ドロドロとした大人の世界の、その見事なコントラストの構図



ゆき子の心は決まっていた。

彼女は新興宗教を立ち上げて荒稼ぎしている義兄の伊庭(いば)を訪ねて、金を借りたのだ。

伊庭はゆき子の最初の男であり、帰国直後、彼の留守宅を間借りしていた経緯もある。

かつて自分をレイプした憎むべき男だが、ゆき子にはこんな男しか頼るべき伝手(つて)がなかったのだ。

ゆき子は富岡との子供を堕した病院のベッドの上に、暗鬱な気分で沈んでいた。

この女の虚ろな視界に、突然侵入してきた衝撃的な情報。

女の眼に映った新聞の片隅に、「女給殺しの夫自首」という記事が、そこだけが独立したスペースのように写真入で貼りついていた。

そこに貼りついていた写真の主は、伊香保の飲み屋の主人清吉と、彼を裏切った若妻おせい。年の離れた夫の嫉妬によって、つい先日会ったばかりの、あのおせいが殺害されたのである。

この描写だけが、映像で唯一、「文学的偶然性」に頼ったシーンになっている。

逆に言えば、それだけこの映画が自然な描写で繋がった、人間の心の様をリアルに綴ってきた作品になっているということである。

ゆき子は、おせいのいない部屋に富岡を訪ねていく。

すっかり沈み込んでいる男は、「独りにしてくれ」と女を突き放す。女は、今まで溜めに溜めてきた男に対する鬱憤を吐き出した。

「そんなに忘れられないの。子供を始末して良かったでしょ?産んでくれなんて、子供のことなんか考えてもいないくせに。心にもないこと言って、本当はせいせいしているくせに。あたしが勝手にやったことにして、自分だけいい子になって、顔見たときだけ美味しいこと言って、何さ!おせいを殺したのはあんたよ!あたしが手術のやり直しを何回もして苦しんでいる時だって、あんた知らん顔だった。勝手に始末させて、そのままあたしが死んだって、あんた来もしないで、お線香一本あげに来る人じゃないわ。伊香保で心中するつもりなんて、それもあんたの出任せよ。あたしが死ぬのを見て、自分だけゆっくりその場を逃れていく人よ!」


女は何度、男の前で涙を見せるのだろう。

二人の会話はいつもドロドロしていて、どこまでも暗鬱なのだ。救いがないのだ。

こんなとき、男の反応は常に変わらない。

「皆、僕が悪いんだ。僕だけが悪いんだよ」

計算したような男の反応に女は愚痴を吐き出して、後は泣き崩れるだけ。

アパートの暗い廊下で、子供たちが飯事遊びに興じていた。

扉一つで隔たった空間に、無邪気な子供の世界と、ドロドロとした大人の世界が、見事なまでのコントラストを描き分けていた。

(因みに、この場面も原作にはない。ここも映像の創作性が際立つ描写であった)その扉の内側では、泣いて泣いて泣き崩れて、もう涸れるまで涙を吐き出した女が悶えていたが、やがて女は一人、アパートを離れて行った。



8  縋りつく女、拒めない男



今度は、富岡がゆき子を訪ねて来た。

先日の無礼を詫びに来たのではない。富岡の病弱な妻が死んで、その葬儀費用を借りに来たのだ。このとき富岡は、ゆき子が新興宗教で成功している伊庭のもとで厄介になっていることを知っていて、明らかに計算尽くで女を訪問したのである。

そんな男の気持ちをとうに察知しているゆき子だが、男に頼まれたら拒むことができようがない。二人は、陽光を眩しいまでに吸収している、まだ舗装されていない土埃のする道路を、いつものような生気のない律動で歩いていく。

そしていつものように、斎藤一郎の気だるい音楽が、その律動に合わせて物悲しく追い駆けていく。

「ねえ、これからどうするつもりなのよ、一人で」
「どうするって、ご覧の通りだ・・・・」
「・・・・やっぱり、あの部屋に今でもいるの?」
「ああ」
「もう一度会って、ゆっくり話がしたいけど」
「職を探さなきゃあ、手も足も出ない・・・・」

今度の別れは、あっさりしていた。男の心を現実的な観念が支配していて、それが女からの侵入を固く塞いでいたからである。

それでも、ゆき子の中に何かがまだ燻(くすぶ)っていて、それが出口を求めて動き出したのである。

今度は、ゆき子からの富岡への呼び出し。

その電報には、「来なかったら死ぬ」と書いてあった。

小心な富岡が、そんな電報を受け取って訪ねて来ない訳がない。

ゆき子は伊庭の金を持ち逃げして、旅館で男を待っていたのである。

「死ぬつもりで伊庭のところを出て来た」という女の切迫感に対して、男は殆ど不感症になっている。

「あんた、女だけを梯子している」とゆき子。酩酊状態だった。
「君もせいぜい男を梯子するがいい」と富岡。醒めていた。

女はここでも泣き崩れるしかない。男はそれを困惑気味に受け止めるだけ。いつものことだ。

「嫌っているんじゃないよ。もうこの辺で、お互いに生き方を変えようって言うんだ・・・・僕たちのロマンスは終戦と同時に消えたんだ。いい年をして、昔の夢を見るのは止めた方がいい・・・・」

屋久島・大株歩道(ウィキ)
ここまで話した後、富岡はゆき子の傍らに座って、自分が勤務に戻ったこと、そして近々、任地先の屋久島の営林署に赴任しなければならないことを告げた。

「一生そこで過ごすかも知れない」という富岡に対して、「私も一緒に連れて行って」と泣きながら、縋りつくゆき子。

「伊庭のところへ帰るんだな」

男は女を突き放した。

「まだそんなこと言って苛めるの?・・・・二人でなんで努力しようと思わないの?まだおせいさんが忘れられないのね・・・・」

女は男を責め立てるが、なお縋りつくことを止めようとしない。その間、ずっと泣き崩れている。

男は逃げようとしている。しかしその緩慢な歩幅に合わせるように、後ろから女がついて来る。何も語らない。誰も泣かない。いつもの音楽が、ここでは流れないのだ。

結局、男は女を伴って、おせいが住んでいたボロアパートに戻って来た。

アパートの住人から、少し前に伊庭が訪ねて来たことを聞かされた富岡は、勤務先に連絡を取って、屋久島への旅立ちを早めることにした。

伊庭からの連絡を求められるメモを読んで、男は今度は別の男からの逃走を決断したのである。


富岡とは、何事をも引き受けない男であり、一切の厄介事から逃げることを考える男なのである。

ゆき子はそんな富岡に張り付いて、とうとう屋久島に同行することになった。

男は決定的なところで拒めない男でもあるのだ。



9  小雨に咽ぶ艀の隅で、深々と寄り添う男と女



鹿児島。

雨が降り続いている。屋久島への船を待っているのだ。


遠い旅の果てに辿り着いたせいか、二人は落ち着きを取り戻していた。

会話の中にも毒気はあるが、さらりと流せる種類のものだった。

「どうだ、帰るんならここからなら丁度いいよ」と富岡。

男の表情には、珍しく笑みが浮かんでいる。

「まだそんなこと言っているの」とゆき子。

その表情から笑みが消えた。女はどこまでも本気なのだ。彼女は揶揄(やゆ)で反応する富岡に対して、きっぱりと言い切った。

「・・・・あたし屋久島に住めなかったら、ここへ来て料理屋の女中したっていいわ。女ってそれだけのものよ。捨てられたら、また、それはそれにして、生きていくんだわ」

女は覚悟を決めていた。

しかしその覚悟に、女の身体がついていけなかった。ゆき子の富岡に対する覚悟の微笑みは、この言葉が最後になったのである。

彼女は突然、体の変調を訴えた。心身の疲労の蓄積が、遂に飽和点に達した瞬間だった。男を独占できたとほぼ確信しつつあったそのときに、女は病魔に冒されてしまったのである。計算できない悪魔が、そこに潜んでいたのだ。

そんな非日常的な状況下で、男は優しかった。

屋久島行きの船を見送っても、男は女に寄り添っている。その優しさに女は頬を伝う涙で反応するが、それは、取り戻した愛を身体で反応できない女の悔しさの、精一杯の表現であったかも知れない。

まもなく二人は船に乗って、屋久島に辿り着く。


停泊地から艀(はしけ)に乗り換えて、波止場に着くまでの哀愁漂う描写は、二人がこれから迎える運命を象徴していて、蓋(けだ)し印象的だった。

小雨が二人の寄り添う体を濡らしていく。

病を得たゆき子の体を抱き寄せる富岡の優しさが、これまでの二人の澱んだ感情の交錯を浄化するようだった。


艀が桟橋に着いて、病身のゆき子が迎えの男たちに担架で運ばれる描写は、あまりに痛々しかった。

営林署の小屋のような部屋を充てがわれて、二人は長旅の最終地点にようやく辿り着いたのだ。



10  ランプに照らされた無垢な美しさ ―― 這って、這って、蹲った女の最後の疼き



ゆき子の体は、湿気の多い屋久島の風土の中でますます悪化していった。

ここに、二人の最後の会話がある。

「あなたの傍で死ねれば本望だわ」
「死ぬならいつでも死ねるさ。ここまで来て弱音を吐く奴があるか」
「とうとうここまで来てしまったわね・・・・」

その日は晴れていた。男は仕事で山に行くのである。

「あたしも山に行けないの?」
「そうはいかないよ。幾らなんでも」
「あたしがいなくなれば、ホッとなさるでしょ」
「ハハハ、ホッとするさ。女はどこにでもいるからね」
「そうね。どんな立派な女でも、男から見れば女は女ね」
「ようく喋るな、今朝は。それだけ喋れるようになったら、上等だ」
「女はどこにでもいるなんて、悔しいわぁ」
「悔しかったら、早く元気になることだな。元気になって、男と闘争するんだ。女の最大の武器でやるんだ」
「憎らしいこと言う人ね。昔から毒舌家だったけど。婦人代議士が聞いたら怒りに来るわよ」
「婦人代議士?ああ、あれは女だったのか、忘れてた。失礼しました」


そんな冗談を言って、富岡は仕事に出て行った。


ゆき子は窓越しに富岡を見ている。見続けている。

一人になった。そこにお手伝いさんはいなかった。

弾丸のような雨が、今にも壊れかけた家屋を激しく打ち付けている。

ひと月に、35日間雨が降る島なのだ。病魔に冒された女の体に良い訳がない。

それでも女はやって来たのだ。

死ぬために、南海の孤島にやって来たのではない。

しかし、死神は女の体の深いところに、もうすっかり棲みついてしまっていたのである。

一人残された暗鬱な部屋で、女の咳が止まらない。悶えているのだ。

女は布団から抜け出して這っていく。

窓際に這っていく。強雨で放たれた窓を閉めるために這っていく。

そこで蹲(うずくま)った。動きが止まった。女は動かなくなったのだ。

ラストシーンは、営林署の者を返して天に昇ったゆき子の顔にランプを照らし、死に化粧のための口紅をつける富岡の孤独な表情を映し出して、遂に思い余って慟哭する描写で括られた。

ランプに照らされたゆき子の顔は、その無垢な美しさを眩く輝かせた。それは、観る者に言いようのない哀切を誘(いざな)って止まない描写だった。


(付記) 成瀬巳喜男はこのような感傷的な描写で映像を括ることを嫌う監督だが、水木洋子は、どうしてもこの描写だけは削れないという脚本家としての意地を通したらしい。彼女は、一切を洗い清めるような映像表現として、悔悟と懺悔を象徴するような富岡の慟哭を切望して止まなかったのだろうか。

ストーリーを最後にカタルシスで流さない成瀬作品の中で、やはり「浮雲」は異彩を放っていた。


このラストシーンの評価は、観る者それぞれの固有の感じ方によって分れるだろうが、あまりに救いのない映像の繋がりの果てに、僅かな浄化を果たすこの描写の挿入は、私としては些か不満だが、それでも映像としての均衡性を壊していないことだけは事実である。

かくて一代の名作が、今なお、私たちの心を捉えて放さない何ものかになっていったのである。


*          *          *          *    



11  「引き受けない男」の「分」と器量



「浮雲」―― 世界映画史上にあって、ひと際光彩を放っているこの傑作を、どう把握したらいいのだろうか。それを考えてみたい。

私はこの映画を、「投げ入れる女」と「引き受けない男」の物語であり、その両者の間に否定し難いほど生じてしまった「感情の落差」によって、そこに遣り切れないほどの関係の齟齬(そご)や擦れ違いが形成されてもなお、それでも投げ入れることを止められない女の、殆ど殉教的なまでの情愛の物語であると捉えている。

その辺りから稿を起していく。

「投げ入れる女」は、投げ入れるべき何者かに、何もかも投げ入れていく。

投げ入れる者の思いを、その身体を、その身体が自己に刻んだ記憶を。

現在の時間を、未来の時間の一切を投げ入れて、拒まれて、それでも投げ入れて、捨てていく。

投げ入れることは、捨てていくことである。

投げ入れるべき何者かに捨てていくことは、捨てることによって投げ入れるべき何者かと同化することであり、そこに投げ入れる者の一切が入り込んでいくことである。

そして、「引き受けない男」は逃げる男である。

逃げて、逃げて、自分に向かって投げて入れてくる女から、常に決定的な局面で逃げていく。卑下するようにして、自らを断罪するようにして、巧みにかわすようにして逃げていく。

断罪することによって、投げ入れてくる女が侵入してくる入り口を塞いでしまうのだ。

しかし男は単に、逃げるために逃げるのではない。引き受けることができないから逃げるのだ。

それでも男はいつも逃げる訳ではない。

決定的な局面を引き受けなくて済むギリギリの際(きわ)で、投げ入れる女の体液を吸って、その思いを呑み込んで、投げ入れる女と共有する記憶の幾つかを拾い上げて、シニカルに受け止める。

そんな男がしばしば受け止めてくれるから、女は投げ入れることを止めないのである。

そして最後に、女は命を投げ入れた。

男は、その命を遂に受け止めた。それが仮の住まいであることを諭した上で受け止めた。

女はそれでも本望だったのか、男はそれでも納得したのか。

女にとって仮の住まいであった場所に一人残されたのは、やはり男だった。

女の死体が残されて、そこに男の涙が投げ入れられた。

喪ったものの大きさを、果たして男はどこまで受け入れられたか、誰も分らない。

少なくとも、その後一ヶ月間ほど、男の心は定まらなかった。

因みに、原作ではどうなっていたか。

林芙美子(ウィキ
「雨は一刻のゆるみもなく、荒い音をたてて、夜をこめて降りしきっている。夜更けてから、富岡は、猛烈な下痢をした。息苦しい厠(かわや)に蹲踞(しゃが)み、富岡は、両の掌(てのひら)に、がくりと顔を埋めて、子供のように、おえつして哭(な)いた。人間はいったい何であろうか。何者であろうとしているのだろう・・・・・・。色々な過程を経て、人間は、素気なく、この世から消えて行く。一列に神の子であり、また一列に悪魔の仲間である」(同上より)

こんな描写もあった。

「屋久島へ帰る気力もない。だが、ゆき子の土葬にした亡骸をあの島へ、たった一人置いて去るにも忍びないのだ。それかと云って、いまさら、東京に戻って何があるだろうか・・・・・・富岡は、まるで、浮雲のような、己の姿を考えていた。それは、何時、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲である」(同上より)

「浮雲」と題する映像を象徴する描写があるが、これは二人の人生の関係性そのものであり、それに対する幻想をイメージする言葉だろう。

恐らく男は、いつもそうしてきたように、彼なりの回路を通って復元していくであろう。こういう男は中々変わらないのだ。決して男は悪人ではない。極端に常識はずれな人格破綻者でもない。

それは私であり、私の隣に住む者であり、私の周囲にウロウロする何者かである。

それはこの国のある種の男の典型であるが、しかし決してその全てを代表していない。女もまた代表していない。

ただそこに男と女がいて、濃密にクロスして、深々と傷付けあって、殆どそこにしか辿り着けないような航跡の果てに砕け散った。

恐らく二人には、それ以外にない関係の終焉だったと思われる、そんな括り方だった。

水木洋子
然るに、この作品を観た者の多くは、男の甲斐性のなさとその自堕落さを厭悪(えんお)し、女の一途さと自己献身的な思いの深さに同情し、その殉教的な死に哀惜の念を覚えるに違いないだろう。

例外的にフェミニストと称する連中は、男に縋って生きる女の「自立性」のなさと、女を梯子して生きる男の狡猾さを、一刀両断に斬って捨てるであろうが、果たして、この作品と客観的に付き合ったとき、そこに描かれた男は非難される対象でしかなく、逆にその男に生き血まで吸われたかのような女は、観る者の一方的な憐憫の対象に成り得ると簡単に言い切れるのか。

私はそうは思わない。

男女の愛情の縺(もつ)れは、複雑な感情の微妙な落差や錯綜に起因するものが多いから、単純に、この作品の男女の関係を損得論で語るのは疎(おろ)か、ましてや、それを善悪論で片付けてしまってはならないのである。

確かに男は、映像を通して三人の女と関係し、あわや四人目のマセた娘とも関係しそうになったが、前者の三人に関しては、それぞれの思いを半ばにして、ある者は衝撃的に、またある者は、男に向かって這い蹲(つくば)っていくようにして斃れていった。

果たして男は、彼女たちにとって「魂の殺害者」であると言えるのか。

否である。

その過去は知らないが、映像において男はただの一度も、例えば、伊庭という小悪人がかつてゆき子をレイプしたように、女に対する暴力的なアプローチをしていないのだ。

また男は、結婚詐欺師のような確信犯的な言い寄り方をした訳ではないし、そこに狡猾な計算が含まれていても、それは日常的に展開される、男と女の打算性の範疇で了解される類のものだ。

では、富岡という男は何者だったのか。


彼は、「引き受けない男」であると言う以外にない。

しばしば引き受けるが、それが男の「分」を越えてくるとき、その冷笑的な態度に似合わないかのようなだらしなさを見せる。

妻を疾病で喪ったとき、その葬儀費用を立て替えてもらうために、決して自分からは求めていかないゆき子に会いに、あろうことか、彼女が世話になっている男の家を訪ねることも辞さなかったのである。

また自分が原因で、怨恨殺人の犠牲になったおせいの夫の裁判費用を捻出しようと立ち回るが、これも結局、中途半端で投げ出している。

ラストでは、ゆき子が盗んだ金を巡って留守宅に伊庭の恫喝的訪問を受け、この件(くだり)に関しては見事なまでの遁走劇で括ってしまうのだ。紛う方なく、「引き受けない男」の本領発揮の行動だったと言えるだろう。

万事この調子だが、彼が事態を引き受けきれないのは、必ずしも引き受けることからいつも逃げようとしている訳ではなく、引き受ける事柄が男の器量を越えてしまうからである。

紛れもなく、男は駄目人間だが、決して小悪人ではない。男の中に投げ入れられてくるものが、大抵、男の「分」と器量を上回ってしまうから、男は逃げまくる印象を晒してしまうのだ。

しかし映像で観る限り、男の中に投げ入れられてくる半分以上は、男を思う女たちの異性的情念である。

そこでの男と女の間に微妙な乖離が生まれるのは、女の情念がいつも男のそれを上回ってしまうため、男は常に関係の奥深い、ドロドロした感情の辺りまで引き摺り込まれ、そこで立ち往生してしまうのだ。

これは、男が一方的に悪いという把握で了解できる文脈を明らかに逸脱する。

おせい
なぜなら、男と女の愛情関係というものは、そこで蠢(うごめ)く感情の均衡が、いつも絶妙の状態で上手に機能しているとは限らないからだ。



12  「感情の落差」について



――「感情の落差」

関係には大抵、こういう厄介なものが形成されてしまうのである。

「感情の落差」は関係の落差である。

それが恋愛関係であるならば、そこにも恋愛感情の落差というものがある。従って、その厄介な恋愛感情というものを理解する必要がある。

果たして、恋愛感情とは一体何なのか。

それは、数多ある愛情の一つの様態であるに違いない。

では、愛情とは一体何なのか。

私たちが日常的に使うこの厄介な言葉を、一体どのように把握し、定義したらいいのか。(以下、以前に書いた「愛の深さ」という拙稿から一部引用したい)

「好意尺度」と「恋愛尺度」の分析で有名なルヴィン(アメリカの心理学者)によると、愛情とは、具体的には「共存感情」であり、「援助感情」であると言う。これは心理学重要実験のデータ本から得た知識だが、 私はこの分りやすい説明によって、正直眼から鱗(うろこ)が落ちる心境になった。

私なりに、長くこのテーマについて考えてきて、そこで出した私の把握は単純なものである。

即ち、「愛情」のコアになる感情は、「援助感情」であると結論づけたのである。



13  「援助感情」という「愛」の基幹感情と、それを構成する感情について 



本稿のテーマとは少し離れるが、愛の核心とも言うべき「援助感情」について言及してみたい。

例えば、自分にとってかけがえのない存在に映る他者Aがいるとする。Aが元気で溌剌としているときは、こちらも何となくウキウキして、愉しい気分になる。ところがAが深刻な悩みを抱えて悶々とする日々を送っていると、こちらも辛くなり、滅入ってくる。辛そうなAに対して、何かせずにいられない感情に包まれる。居ても立ってもいられなくなるのだ。

そんな状況の中で、Aの消息が突然不明になったとする。

時間だけが過ぎていく。こちらは全く何も手がつかず、異常な不安に襲われる。そんな中で、私は自分ができることを懸命に模索する。不安のヒットと打開策のリサーチ。それだけが私の時間となる。それ以外の時間は、私にはないのである。

このときの私を中心的に支配する感情、それを私は、「特定他者を救うことが、自らの自我を安定に導く感情」と把握した。これを私は、「愛」と呼ぶことにした。

この「援助感情」こそが、あらゆる愛を貫流する感情ゆえに愛の本質である、と私は考えるが、無論、愛を構成する感情はそれが全てではない。

イメージ画像・台湾観光旅行ガイド・台湾の恋愛事情より
ルヴィンの言うように、第二、第三の感情として、「共存感情」と「独占感情」がある。この二つの感情は相互作用的な感情であって、「共存感情」の強さが「独占感情」の濃度を規定すると言っていい。共存欲と独占欲は並立しやすいのである。

因みに、ある種の嫉妬感情は「独占感情」が障害を受けたときの二次的感情なので、「独占感情」に常に張り付いている。独占欲が小さければ、当然、嫉妬に煩悶することもなく、そこで生じる怒りの感情は、自我のプライドライン(自尊感情)が反応したものに過ぎないであろう。

そして、第四の感情は「性的感情」である。

この感情が恋愛の本質であって、他の愛の形には存在しないものだ。この感情が厄介なのは、自我の抑制系を機能不全にするほどの破壊的エネルギーを、その内側に内包するからである。

それはしばしば反生産的で、秩序破壊の要因に絡んでくるので、いずれの国でも、「過剰なる性」を野放しにする自由を決して保障しないのだ。それは殆ど例外なく、国家権力の重要な管掌事項の対象になっていると言っていい。

以上、四つの感情が、愛を構成する感情の全てであると考える。

しかし全ての愛情が、この四つの感情を内包するものではない。

正確に言えば、前三者の感情が愛情の基本的感情であって、「性的感情」は恋愛感情の固有の属性的感情であり、それを他の感情と分ける必要があるが、それでもそれらの感情と脈絡する要素を持つので、しばしば「性的感情」の爆発力が、絶えず、文学や映像の題材になるほどの極限性を示すのである。

恋愛感情のみが、愛情を構成する全ての感情を内包する感情なのである。だから恋愛感情は激しいのである。

それは煮え滾(たぎ)っていて、それらの感情を相互に強化し合い、濃度を深めていくことで、抑制系の発動がなかなか機能しなくなるのである。

自我の抑制系の機能的停滞が、男と女の関係速度を著しく高めていく。

関係速度の目立った昂進が、過剰なる性急さを周囲に印象付けて、しばしばその排他的な閉鎖性が、秩序破壊の元凶のように見られたりもする。強化しあった感情が、規範を抜けるときのパワーは尋常ではないからだ。

これらの四つの感情が固く繋がって、過剰なまでに自立的に強化していけば、その関係ワールドは他の如何なる秩序へのアクセスを臨む必要はないから、その感情ラインの一切が自給できてしまうのである。



14  恋愛という劇薬が放つパワー



感情ラインの自給によって、癒されるべき自我の問題は当面棚上げになる。だから重苦しいテーマへの想像力は枯渇する。

孤独の社会的テーマからの呪縛が解かれて、そこで消費されるはずのエネルギーの過半が、恋愛という甘美なるゲームに集中的に利用されることになるのだ。

恋愛の関係速度が、一種、二次関数的な上昇を記録するのは当然であるに違いない。恋は常に、疾風の如く駆け抜けるのである。

「失楽園」より
例えば、「失楽園」というような作品が、侵し難い純愛の聖域として恋愛至上主義の栄光の冠となって時を駆け、その劇薬を乞う人々の内側で繁殖を続けていくが、全ての恋愛が作品の男女のような嵌(はま)り方をする訳がないのである。

このような恋愛を無邪気に語る者は、酔うことができる者である。

酔うことができる者は、酔わすことができると信じる者である。人を酔わすと信じるから、語る者は語ることを捨てない者になる。

かくて物語は完結し、不滅の光芒を放つと信じる者たちによって繋がれていく。

いつの世にも、友情を誇るフラットな物語の何倍もの色懺悔が語られ、読まれ、鑑賞されていく。

語られる数だけ「究極の愛」がカウントされ、カウントされた数だけ究極の人生が、それがなかったら私には何も残らないと言わんばかりに、其処彼処(そこかしこ)で自嘲のポーズ巧みに、しかし思い入れ深く放たれる。

これが恋愛という劇薬が放つパワーなのだが、実際はそれほど甘美で、いつでもその芳醇に酩酊できるような肌触りの良い関係ではないことを、私たちは皆どこかで認知しているのである。

詰まるところ、「純愛」という名の大いなる幻想を解き放ったら、恐らく「浮雲」の世界に逢着するはずなのだ。



15  恋愛感情の落差による悲哀



―― ここでまた、「浮雲」に戻る。


「浮雲」に描かれたドロドロの情愛を容赦なく抉(えぐ)っていくと、単純な結論に落ち着くだろう。一言で言えば、それは「感情の落差」である。或いは、「愛情の落差」であると言っていい。

「浮雲」の男女のそれぞれの「愛情の落差」こそが、映画のドラマ性を成立させる中枢にあって、観る者が物語に哀切極まる感傷を、それぞれの主観的な思いによって汲み取る自由度は、そこに描かれた、殆ど「約束された悲劇」のラインの中で往来する程度のものでしかないだろう。


恐らく成瀬は、そのラインの意味するところを根柢において把握していたはずだ。だから彼は、ラストシーンでの男の慟哭の描写を加えたくなかった。

それを描くことで、「失った愛の大きさ」に落涙する男への、勝手なイメージ形成を避けたかったに違いないのである。(画像は、「浮雲」を演出する成瀬巳喜男)

客観的に分析すれば、富岡とゆき子の禁じられた愛は仏印で生まれ、そこで輝き、一気に頂点に昇り詰めていって、敗戦によって終焉したのである。

ゆき子だけがそれを認めないのだ。

だから、このストーリーは暗鬱な気分を乗せて終始し、「悲劇」で幕を下すしかなかったのである。

その「悲劇」の始まりは、富岡家を初めて訪ねたゆき子に対する男の反応の冷淡さに、残酷なまでに描き出されていた。映像は、凄惨な展開を予想されるストーリーを、覚悟を括って観る者に投げ入れてきたのである。

明け透けに言えば、女に対する男の愛よりも、男に対する女の愛の方が格段に上回っていて、それは最後まで変わらないのである。この「感情の落差」は、修復の余地がないほどに決定的だった。

男が女に語るのは、身の上相談の需要と供給についてばかりであり、偶(たま)さか剥(む)き出しにされた感情も、突発的に生じた男の嫉妬感のゲームのような吐露でしかなかった。

引き摺って、引き摺って、自らを穴倉に引き摺り込んだ女の情念は伊香保まで延長されて、そこで一時(いっとき)、心中についての危うい会話に流れ込んでいったが、結局、二人はそれを遂行しなかったのである。


伊香保温泉・みやげ物屋が並ぶ石段街(ウィキ)

二人は、伊香保で心中すべきだったのだ。

それを避けた男と女は、その純愛性を剥(は)ぎ取った関係を泥沼に浸していくばかりとなっていった。当然の帰結であるという他にない。

富岡とゆき子の関係の間に横臥(おうが)していた「感情の落差」は、恋愛感情の落差であると言っていい。

これまで書いてきたように、恋愛感情とは「性的感情」を本質として、そこに「援助感情」、「共存感情」、「独占感情」などによって構成される感情である。

この感情の殆ど決定的な落差が、二人の間に横臥していたのである。

ゆき子の中では、これら全ての感情がしばしば過剰なほど溢れていたが、富岡には、ほんの遊び程度の「性的感情」や嫉妬感情が見られるが、それもゆき子の感情と全くバランスが取れないほど貧弱なものだった。


その感情に何某かの突出性が見られた訳ではなく、いつでも彼は、「引き受けない男」を演じる以外になかったのである。

男との感情が、そうしなければならないと考える貧弱な理念系にいつでも追いつけないで、女と作った私的情況に翻弄される他はなかったのだ。

置き去りにされた女が、いつもそこに呆然と立ち竦んでいた。



16  「援助感情」の落差によって置き去りにされた女



二人の関係に於いて、愛のコアと言うべき「援助感情」の落差を象徴的に示すシーンが、映像の後半にある。

伊香保から帰ったゆき子が、おせいと同棲していることを知らずに、富岡をアパートに訪ねたときのことだ。

おせいの存在に驚いたゆき子だが、そこで帰宅した富岡と外に出て線路沿いを歩いていく。

既に富岡との子供を懐妊していたことを告げたゆき子に対して、男は「自分には子がないから産んでくれ」などと哀願した。しかし、ゆき子は富岡の子を堕胎したのである。

その結果、ゆき子は一週間の入院を余儀なくされたが(原作によると)、その間、富岡から何の連絡もなかった。子供を産んでくれと言いながら、その後、一切のフォローをしない男のエゴイズムが浮き彫りにされる描写だった。

ゆき子はおせいを喪った富岡をアパートに訪ねて、男の思いやりのなさを涙ながらに訴えたのである。

訴えられた男は、「独りにしてくれ」としか言わない。言えないのである。それがこの男の器量でもあるが、それ以上に、男には女に対する思い入れが確実に足りないのである。

涙を絞りつくした女は、雨に濡れた寂しい街路に身を投げるようにして帰路に就いた。男は追わなかったのである。

更に、こんな描写もあった。

このエピソードの後、暫くして、今度は富岡がゆき子を訪ねていく。

元気になったゆき子の前に、悄然とする富岡が座っている。彼は妻の葬儀の費用を工面するために、ゆき子を当てにしてやって来たのだ。

恐らく、今までもそうであったように、こんなときの男の振舞いは、過去の自分の行為を反省する殊勝な態度を小出しにすることで、女心を微妙に揺さぶる情動操作の術に長けている。

「モテる男」の羨むべき占有権と言ってしまえばそれまでだが、こんな風に女から金を捻出させる能力だけは抜けているのである。

女もまた、好きな男を援助することで、そこに、「心の貸し」を作ることができる。そこにも、当然の如く、大人の計算が働いているだろう。

ゆき子にとって富岡を援助することは、愛情の担保を一つ確保することに繋がるのである。ゆき子の中の男に対する「援助感情」は、彼女の男への強い情愛の思いをベースにしているのだ。

言うまでもなく、富岡の内側には、「ゆき子なら助けてくれる」という確信があった。だから男は、女が許容するギリギリのラインのところまで擦り寄っていけば、それで全て万事オーケーということになる。

殆どそれは、恋愛という甘美なる蜜を求める感情の落差を剥(む)き出しにした、ある種の腐れ縁的関係の人生模様という文脈で括られる何かだった。



17  共存と独占を求めた女の殉教性



以上のエピソードによって、二人の関係の落差を読みとることが可能だが、他の恋愛感情、例えば「共存感情」について考えた場合でも、それを常に拒む富岡に対して、ゆき子の共存への思いは圧倒的である。

彼女にとって、この思いこそが最も中枢の感情であって、それを最後に実現したときの達成感は、相当感慨深かったはずである。

このとき、彼女は明らかに押しかけ女房であって、色々な名目をつけて彼女を東京に戻そうとする男の、その本来的な「引き受けなさ」との対比は、そこに滑稽さを感じさせないほど写実的でありすぎた。

なぜなら、彼女は病に冒されているのに拘らず、未知なる島にその全人格を預けたのである。


女の死によって終焉する映像の括りは、ゆき子の側に立てば、ある意味で殉教的であり、それ自体、本望なる人生の閉じ方であったと言えるだろう。

この映画は、それ以外に終焉しようがない物語の展開の必然性の内に、それぞれに噛み合わない情念が溜息をつき、呻吟し、悶え、深く傷つき、そして最後にランプに照らされた美しい死顔を置土産にして、それまでのドロドロとした感情交錯を浄化するかのような描写によって、半ば予定調和の完結に流れていったのである。

それで良かったかも知れないのだ。そんな余情が残されたのである。

ついでに、「独占感情」について言えば、それがゆき子の一方的な嫉妬感情として、映像の中で繰り返し表現されている。

彼女の嫉妬の相手は、この映像の中だけで見る限り、伊香保温泉から始まった若い娘おせいだった。

おせいの存在は、ゆき子にとって、その自我の安定の基盤を崩す最も危うい何者かであった。

だから、おせいの死によって打ち拉(ひし)がれる富岡の心の空洞を埋めるために、ゆき子は動いたが、これは逆効果に終わった。 

そこでゆき子が知ったのは、富岡の心に自分が入り込む余地のない寂しさだった。

それでも、ゆき子は動いた。

それが金銭的理由であっても、自分を訪ねる男に身も心も預けようとしたのである。

その最大の理由は、富岡が妻を喪って、男やもめになったからである。

それだけに過ぎないが、ゆき子にとってこのような事態の到来は、或いは、最初にして最後の「共存感情」を満たす機会だった。その結末は書くまでもないことである。

詰まるところ、富岡という男の、ゆき子に対する距離の取り方は終始変わらなかったということだ。変わりようがなかったのである。


そこには最後まで、恋愛感情の落差が埋め難いほどに存在していたからだ。

恋を継続させたい女がいて、恋を継続させたくない男がそこにいるとき、その恋の結末は見えている。それはもう、どうしようもないことなのだろう。



18  「メロドラマ」を超えた何ものか



―― 次に稿のテーマを変えて、「『浮雲』とはメロドラマなのか」という問題に言及してみたい。


大体、「メロドラマ」とは一体何なのか。

その意味から把握する必要がある。分っているようで、きちんと定義し難いこの言葉の意味を辞典から起していくと、以下の説明になる。

「メロスとドラマが結合した語で、元来は伴奏つきの簡単な所作劇〕恋愛をテーマとした、感傷的・通俗的な劇・映画・テレビ-ドラマ」(三省堂刊 大辞林 第二版より)

もう一つの辞典によると、こう言うことだ。

「メロドラマとは、音楽が入った通俗劇という意味であるが、ここから男女の恋愛や、家族の葛藤、難病など、通俗的で感傷的なテーマを扱った作品をさすようになる」(「素晴らしき哉、クラシック映画!」HP・ 「クラシック映画用語辞典」より)

両方の辞典で共通しているのは、音楽を使った通俗劇という言葉である。では、そもそも「通俗」とは何か。これも念のため調べてみた。

「(1)一般大衆にわかりやすく受け入れやすいこと。一般向きであること。また、そのさま。低俗。 「―に堕する」「―小説」、(2)世間一般。世間並み。「―な考え」、(3)世間一般の習俗。世俗」(三省堂刊 大辞林 第二版より)

つまり「メロドラマ」とは、音楽を使って、一般大衆に分りやすく、且つ、受け入れやすい類のドラマのことであって、それは、「低俗」なる大衆劇という括りになるのだろうか。

「世俗」とは言うまでもなく、一般世間の習慣とか生活という意味だから、私たちの等身大の人生、生活様態を些(いささ)か誇張を込めて、感傷的に映し出したのが「メロドラマ」ということなのか。

また、こんな専門的な説明もある。

「メロドラマ(melodrama)とは、扇情的かつ情緒的風合いの濃厚な、悲劇に似たドラマの形式。悲劇と違い、登場人物の行動から人生や人間性について深く考えさせるというよりは、衝撃的な展開を次々に提示することで観客の情緒に直接訴えかけることを目的とする。

扇情的だがドラマの中身が薄いことを指摘する意味で、この語が侮蔑的に用いられることもある。狭義には、メロドラマは19世紀にイギリスを中心にヨーロッパやアメリカ合衆国で流行した演劇のスタイルを指す。

現在では、演劇のみならず、文学や映画、テレビドラマなどにおいても、そのドラマの形式に基づき、メロドラマと謳われたり、ジャンル付けされる場合がある」(ウィキペディア「メロドラマ」より)

よくぞここまで書いてくれたと思わせるような刺激的な括りだが、「扇情的だがドラマの中身が薄い」というこの挑発的な定義づけを仮に認知するならば、成瀬の「浮雲」は、決して「メロドラマ」の範疇で収まらないことは、殆ど論を待つまでもない。

確かに、「浮雲」には音楽が効果的に使われている。

男と女が寄り添うように歩くとき、お互いに気まずそうに一定の距離を保って、モノクロの画面の奥に消えていくのだが、あの一度聞いたら忘れられない気だるい音楽が、その叙情的文脈の中に溶け込むように、しかし一貫して、映像的主題を壊さない程度の静かな旋律を保持しつつ、「漂流」をイメージするストーリー性と見事に睦み合って、映像それ自身の存在性の内に流れ込んでいる。

果たしてそれは、映像の通俗性を効果的に盛り上げるための仕掛けに過ぎないのか。

否である。

テーマと音楽の見事なまでの睦み合いは、明らかに、観る者に対する迎合的、且つ感傷的な「低俗性」を超えている。

その静謐な短調のメロディは、時代に上手に繋がり切れないで漂流する男女の思いを汲み取っていて、決定的に効果的だった。

それは、仏印ダラットを発火点にした男女の関係が継続力を失ってもなお、そこに澱んで残る情念が浄化できない哀しさを歌い続ける何ものかだった。

決して、音楽が映像を支配する独善性が見られないのである。

それは、「ここで感動して泣いて下さい」という卑俗な誘導効果を狙った演出とは、確実に一線を画しているのだ。

以上の「音楽」についての言及で明らかなように、成瀬の映像世界は、そのごく一部の作品を除けば、「扇情的だがドラマの中身が薄い」という評価で片付けられるものでは決してない。

とりわけ「浮雲」は、そこに等身大の世俗性に通底するものを当然ながら認めてもなお、「観客の情緒に訴えかけることを目的」とした作品になっていないことは、彼の映像に親しんだ者なら周知の事実と言っていい。

「おかあさん」より
大体、成瀬の作品が、「衝撃的な展開を次々に提示する」映像になっていないことは、「おかあさん」、「稲妻」、「流れる」、「銀座化粧」、「石中先生行状記」、「三十三間堂通し矢物語」等々、戦前戦後を問わない地味な作品群を観れば瞭然とする。

それらの殆どが、一応完成された原作をベースにした映像作品であるにも拘らず、その原作にある過剰な扇情的表現や刺激的な状況描写を、そのまま写し撮ることをせず、そこに確信的で抑制的な演出によって、原作とは全く別の、一つの独特な映像宇宙を創り出したのが成瀬の作品群なのである。

成瀬の遺作となった「乱れ雲」ならいざ知らず、「浮雲」は決して「メロドラマ」のカテゴリーに収まるものではない。それは紛れもなく、「メロドラマ」を超えた何ものかであった。

思うに、「メロドラマ」とか、「女性映画」とかいうような、成瀬映画の括り方自体が根本的に間違っているのである。

確かに、「流れる」は、当時の一流の女優陣が出演したオールスター作品と称されるが、しかしその映像の内実は、オールスター競演の娯楽性を遥かに超えた、深い味わいのある作品になっていることは、この作品の愛好者の間で知らない者はいないだろう。

彼の作品は、主に庶民の日常性を題材に描いた一流の人間ドラマに他ならないのだ。成瀬映画について、私は今、それ以外の認識を持ち得ないのである。



19  誇り高い仕事師たちの匠の世界 ―― 成瀬組の完璧なセット造形



―― 稿のテーマを変える。


成瀬映画の素晴らしさについて、よく言われることの一つは、彼の作品には駄作が少ないということである。

殆ど全ての作品が水準以上の評価に耐え得る作品であることは、例えば、出来不出来の落差が激しかったと言われる溝口健二のそれと比べると驚きですらあるだろう。

有名な作品ではないが、戦前に作った、「芝居道」などという一連の芸道ものの作品の一つですら、とても良く出来ていて、そこに描かれた人間ドラマの完成度は決して低いものではない。

このような成瀬作品の安定的な水準の高さは、一般に、成瀬組と言われるスタッフのプロフェッショナルな集団に支えられていたとも言われている。

中でも、ロケを好まない成瀬の作品の美術装置には定評がある。

とりわけ、「石中先生行状記」以来、戦後の成瀬作品の美術の多くを担当した中古智(ちゅうこさとる)の手腕は伝説的ですらあるのだ。

( 因みに、先の「芝居道」の美術を担当したのが彼である。それは、彼が唯一戦前に、「まごころ」と共に美術を手がけた作品として、知る人ぞ知る所である)

ここに、一冊の著作がある。

それは成瀬の作品批評に熱心な蓮実重彦が、美術の中古智にその苦労話についてインタビューした内容構成になっている。

その著作の名は「成瀬巳喜男の設計」。

そこには、ロケとも見紛うばかりの完璧なセットを造形した成瀬組のスタッフの苦労が紹介されていて、とても興味深い。


「浮雲」を例にとると、未だ信じ難いのだが、伊香保温泉の階段を中心にした完璧なセットは語り草になっている。著作から引用してみよう。

「―― やっぱり階段がたくさんありますね。

中古  階段のセットはまた別なんですけれども、そこの曲がるところの角に飲み屋がある。そのほかに大通りの先っちょのほうをロングで、実際、昼間ロケーションで撮ってるんですが、セットで同じようなものをつくってくれという注文がでましたね。

銀山温泉で・中古智(ブログより)
ああいう建て込んだ所はすぐ太陽の翳(かげ)りが大きく出ますんで、ロケーションなんかできないんですよね。だから、どうしてもセットをということになる。ロケーションに行ってるのに何でこんなのを撮ってこないんだというような騒ぎがいろいろ多かったんです。セットづくりの下準備というのが、あの映画ほど難しい映画はなかったんですよね、ほんとに。(略)

―― そして手前は何もないようなセットの階段ですか。

中古  そうそう、石の階段の端の仕上げはしてあるオープン・セットですが、脇にちょっとした隙間が見えるわけです。それが手前の角の家に切られて、その中間は見えない。ただ階段の縁だけがこうなって結末がついているわけです。それで上に上がったところの右方に風呂場がある。あそこは実はクレーン撮影なんです」(「成瀬巳喜男の設計」中古智/蓮実重彦著 筑摩書房)


それ以外に「浮雲」の撮影の中枢部分、例えば仏印ダラットやラストシーンの屋久島の描写が、成瀬組の美術の手腕に支えられていたことも知られている。(画像はロケ地の伊豆で、ロイヤルホテルから撮影)

これも引用してみる。

「(略)ところでこの映画の撮影は、とにかく仏印には行かないわけですよ。仏印ばかりじゃない、屋久島にも行かないわけです。仏印のような感じが出せそうなのは、伊豆しかない。伊豆で何とか撮れないかということをいろいろ研究して、ハンティングして、何とかして少しでもそれらしく感じを出してくれというのでやったわけです。吊り橋みたいなものがありますが、あれなど全部つくりもので、山中に吊り橋をつくった。森の中で水が流れている所をポッと渡るところ、あれは三島の自然公園という所。場所は全然違うわけですけど(笑)」(同上より)

このように成瀬的映像宇宙とは、成瀬組という優秀なプロ集団による、それぞれの「分」に見合った手慣れた仕事の集合的な創作的世界であったことが分る。

そしてその宇宙の中心に、成瀬巳喜男という類稀な仕事師がいた。この仕事師が作り上げた創作現場は、他の映像作家たちのそれと異なって、そこにいつも静謐で、張り詰めたような空気感が漂っていたという。

それこそ、成瀬的映像宇宙の基盤を支えた一種独特の素顔の現場であった。

ロケ地の伊豆・、ロイヤルホテルから撮影
この誇り高い仕事師たちの匠の世界から、日本及び日本人の良さも悪さも象徴するような味わい深い映像世界が、テレビという最も大衆的で、究めつけの快楽装置が出現し、それが黄金時代を迎えるほんの直前まで、長く銀幕の輝きの歴史の一画を、目立たないように占有していたのである。

誇張して言えば―― 「成瀬巳喜男」、それはまさに最後の映像職人だった。

「成瀬組」、それもまさに、最後の仕事師たちの匠なる集団であったということだ。




20  等身大の宇宙に思いを寄せることができる親和力




―― 稿の最後に、成瀬映画を、「私の眼差し」で論じてみたい。



成瀬映画とは何だったのか。

いや、今でも輝きを放つそれは一体何なのか、という問題提起こそ相応しい。

それを私なりの雑感で綴っていくとこうなる。

人間として不可避なる死や、寄る辺ない事情による様々な別離とか、感情の微妙な行き違いや打算、裏切りによる葛藤や反目、離反、更には運命としか呼べないような人生の試練とか、偶発的にヒットしてくる不幸や、それに起因する人生の惨状、そして何よりも、一見フラットな日常性が、その内側に抱えている多くの不安や関係亀裂のさまなどを、それが私たちの通常なる人生様態であると突き放しつつも、だからこそ、そんな人生の真実の受容を何気なく迫るリアリズムの映像宇宙が、常に「いま、そこにある」ように展開している。

―― それが成瀬映画である。

そこには、私たちの世俗的な市井のステージで、時には寡黙に、或いは、ここぞと言うときのほど良い情感を乗せて、鋭利な緊張含みのストーリーを交えつつ、しかし一貫して淡々と描き出されていて、観る者をなぜか飽きさせないのである。

なぜなら、そこに描かれている世界は、丸ごと、その時代に生きた私たちの平均的観念や思いであり、まるでキメ細かい一幅の写実に優れた創作性を加えただけの極めてミニマムな、しかしそれ故にこそ、その等身大の宇宙に思いを寄せることができる親和力が、そこに全開しているからである。

そんな成瀬的映像宇宙の根柢にあるものを私なりに要約すると、「人生は思うようにならない」という、極めてシンプルなメッセージに帰結する。

そんなあまりに単純なメッセージは、成瀬映画だからこそ最も相応しく、限りなく説得力を持つのである。

決して声高に叫ばず、情緒の洪水に流れることなく、常に抑制的で、そこに映し出された人物たちの慌てぶりや滑稽な表現が、観る者の視線と見事に重なってしまうことで、何かある種の安堵感が生まれるのである。

「これはこれでいい。自分は自分でいい。皆、同じことを悩み、同じところで躓(つまづ)き、同じように重いものを背負って生きている。だからこれでいいのだ」

実際はそんな単純なものではないのだが、成瀬の作品を繰り返し観るたび、私はいつもこんな思いを抱く。

その思いが振れるのは、私流に把握する成瀬のメッセージと出会えるからである。私にとって成瀬作品とは、少し元気を失ったときの漢方薬レベルの効用薬であると思っている。

それは諦念ではない。絶望にも至らない。

他の者よりも些か辛い日常性を送っている脊髄損傷者としての私が、そこに少しだけ、気分を変えて世俗的な風を入れたいとき、「思うようにならない人生」を生きている成瀬作品に登場する人物たちの固有の辛さに、何か自然に侵入していけるものがあるのだ。

それは私の好きな親鸞聖人の厳しくも、決して辛き者を突き放さない包容力に包まれたい気分と重なるかも知れない。

確かに成瀬作品は、しばしば容赦ないほど残酷である。

そんな苛酷な状況でも、人は生きていく。

「あらくれ」より
あらくれ」の気丈な女も、「稲妻」の自立を目指す四女も、「秋立ちぬ」の薄幸な少年も、「流れる」の年増芸者たちも、「晩菊」のぼやき続ける中年女たちも、「おかあさん」の慈母観音のような母も、それでも皆生きていく。

生きていかざるを得ないのだ。簡単に死ねないからだ。

人生とはそんなものなのだ。

思いっ切り運に見放された男も女も、突然襲来する不幸に怯える者も、ある意味で均しく平等なのである。望むことが容易に手に入る人生など、一体どこにあるというのか。

仮にそんな人生が一過的に訪れたとしても、そんな僥倖を抱え切ったまま、人生のゴールインを迎えられる訳がないと考えるのが自然である。

人生は、いつでも思うようにならないものなのだ。それが人生なのである。

そう考えさせる説得力が、成瀬の作品には溢れている。

それこそが、私にとって、成瀬巳喜男という監督の最大の存在価値であると言っていい。

独断的に言ってしまえば、私の把握に於いて、この国の映画史には、成瀬巳喜男と、それ以外の映画監督しか存在しない。

人間の真実の姿を、見事なまでに自然な演出力で、抑制的に表現できる作家という基軸で評価するとき、私にはこんな括り方しかできないのである。

それほどに、成瀬巳喜男とい映画監督は、私にとって特別に価値ある何かなのだ。

(2006年3月)

0 件のコメント: